柔道(じゅうどう)は、「柔」(やわら)の術を用いての徳義涵養を目的とした芸道、武道のことである。現代では、その修養に用いられる嘉納治五郎流・講道館流の柔術技法を元にした理念を指して「柔道」と呼ぶことが一般化している。柔道は、投げ技、固め技、当身技の三つを主体とする武術・武道、そしてそれを元にした社会教育的な大系となっている。
なお、本項では1を詳述する。
日本伝講道館柔道 にほんでんこうどうかんじゅうどう | |
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使用武器 | 木刀、短刀、棒など(形の技法において使用する) |
発生国 | 日本 |
発生年 | 1882年(明治15年) |
創始者 | 嘉納治五郎 |
源流 | 起倒流柔道 |
主要技術 | 投げ技、固め技、当身技 |
オリンピック競技 | 有り(1964年、1972年 - ) |
公式サイト |
全日本柔道連盟 国際柔道連盟 (IJF) |
表・話・編・歴 |
柔道(じゅうどう)、日本伝講道館柔道(にほんでんこうどうかんじゅうどう)は、柔術修行に打ち込み修めた嘉納治五郎が様々な流派を研究してそれぞれの良い部分を取り入れ、さらに自らの創意と工夫を加えた技術体系の「柔よく剛を制す」という心身の力をもっとも有効に活用した原理を完成させ、1882年(明治15年)にその考察から創始した文武の道である[1]。
古武道の一つ、柔術から発展した武道で、投げ技、固め技、当身技を主体とした技法を持つ。明治時代に警察や学校に普及し、第二次大戦後には国際柔道連盟の設立やオリンピック競技に採用されるなど広く国際化に成功している。多くの国では「Judo=講道館柔道」となっているため、今日では単に「柔道」と言えばこの柔道を指す[2]。
今日ではスポーツ競技・格闘技にも分類されるが、講道館柔道においては「精力善用」「自他共栄」を基本理念とし、競技における単なる勝利至上主義ではなく、身体・精神の鍛錬と教育を目的としている[3]。
柔道の国際統括団体国際柔道連盟では2015年8月アスタナの総会で採択された規約前文において、「柔道は1882年、嘉納治五郎によって創始されたものである」と謳っている[4]。
古くは、12世紀以降の武家社会の中で武芸十八般と言われた武士の合戦時の技芸である武芸が成立し、戦国時代が終わって江戸時代にその中から武術の一つとして柔術が発展した。
明治10年 に、天神真楊流の福田八之助に入門し、当身技(真之当身)を中心として関節技や絞め技といった捕手術の体系を持ち、乱捕技としての投げ技、固技も持つ天神真楊流を稽古した。
また、捨身技を中心として他に中(=当身技)なども伝えていた起倒流柔術を稽古した。
天神真楊流と起倒流柔道の乱捕技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化したものを、これは修身法、練体法、勝負法としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして柔道と名付け、明治15年(1882年)、東京府下谷にある永昌寺という寺の書院12畳を道場代わりとして「講道館」を創設した。
もっとも、寺田満英の起倒流と直信流の例や、滝野遊軒の弟子である起倒流五代目鈴木邦教が起倒流に鈴木家に伝わるとされる「日本神武の伝」を取り入れ柔道という言葉を用いて起倒流柔道と称した例[5] などがあり、「柔道」という語自体はすでに江戸時代にあったため、嘉納の発明ではない。
嘉納は「柔道」という言葉を名乗ったが当初の講道館は新興柔術の少数派の一派であり、当時は「嘉納流柔術」とも呼ばれていた。
講道館においての指導における「柔道」という言葉を使った呼称の改正には、嘉納自身の教育観・人生観、社会観、世界観などが盛り込まれており、近代日本における武道教育のはじまりといえる[6]。柔道がまとめて採用した数々の概念・制度は以降成立する種々の近代武道に多大な影響を与えることになる。嘉納のはじめた講道館柔道は武術の近代化という点で先駆的な、そしてきわめて重要な役割を果たすことになる[7]。
その歴史的影響力、役割の大きさから柔道は武道(日本武道、日本九大武道(日本武道協議会加盟九団体))の筆頭に名を連ねている。
嘉納治五郎の「柔道家としての私の生涯」(昭和3年(1928年)『作興』に連載)によれば、明治21年(1888年)頃、警視庁武術大会で主に楊心流戸塚派と試合し2〜3の引き分け以外勝ったことから講道館の実力が示されたという。
また、本大会において講道館側として出場した者は、元々は天神真楊流などの他流柔術出身の実力者であった。
この試合の後、三島通庸警視総監が講道館柔道を警視庁の必修科として柔術世話掛を採用した為、全国に広まっていったという[注釈 1]。
現在も日本の警察官は柔道又は剣道(女性のみ又は合気道)が必修科目となっている。警察学校入学時に無段者の場合、在校中に初段をとるようにしなければならない。警察署では青少年の健全育成のための小中学生を対象にした柔剣道教室を開いていることも多い。
1895年(明治28年)、対外戦争の勝利や平安遷都1100年記念によって日本武術奨励の気運が高まり、武道の奨励、武徳の育成、教育、顕彰、国民士気の向上を目的として京都に公的組織として大日本武徳会が設立された。
初代総裁に小松宮彰仁親王(皇族、陸軍大将)、会長に渡辺千秋(京都府知事)、副会長に壬生基修(平安神宮宮司)が就任した。同年に第1回の武徳祭と武術大会が行われ、1942年(昭和17年)太平洋戦争のため中止されるまで、恒例の行事として行われた。
大日本武徳会は、剣術、柔術、弓術など各部門で構成され、各部門には諸流派・人物がそれぞれの流派を超越して参加することになる。
技術技法の異なった(古流)柔術各流派間の試合が行われるに際し、武徳会において審判規定を定める必要に迫られ、1899年(明治32年)、柔術部門において、投技、固め技、当身技の技術を包含し形稽古のみでなく乱取稽古の整備の進んでいた講道館柔道の嘉納治五郎が原案を作成し、講道館の山下義韶、横山作次郎、磯貝一、大東流の半田彌太郎、四天流の星野九門、楊心流の戸塚英美、良移心頭流の上原庄吾、起倒流の近藤守太郎、竹内三統流の佐村正明、関口流と楊心流を兼ねた鈴木孫八郎の諸委員によって評議され、「大日本武徳会柔術試合審判規定」が制定された。
1899年(明治32年)大日本武徳会柔道講習所が大日本武徳会に設置され、主任教授に磯貝一四段が就任した。この時から、武徳会において教授される流派は正式に講道館柔道となる。
翌年、1900年(明治33年)武徳会審判規定と照らし合わせ、講道館乱捕試合審判規定が整備される。
1906年(明治39年)8月8日、嘉納治五郎を委員長とし戸塚派揚心流の戸塚英美委員、四天流組討の星野九門委員、他17名の委員補(双水執流組討腰之廻第14代青柳喜平、不遷流4代田辺又右衛門など)柔術10流・師範20名で構成される「大日本武徳会柔術形制定委員会」によって、議論・研究の末、原案として嘉納が提出した講道館で既に作られていた「投の形」「固の形」「真剣勝負の形」を基に、各流派の案による技を追加し、全柔術流派を統合する形として「大日本武徳会柔術形」が制定される。これは現在の講道館における現在の「投の形」「固の形」「極の形」に相当する。
1919年(大正8年)、大日本武徳会は、先んじる講道館柔道の影響も与し「剣術」「撃剣」などの名称を「剣道」に統一し、弓術を弓道と改称し、柔術部門も改めて柔道部門と改称する。
1934年には、本土に上陸して間もない空手が大日本武徳会において柔道部門への入部が認められ、柔道部門の分類下におかれる。
また1942年改組の行われた新武徳会においては、柔道には空手や捕縄術などが含まれる、とされた。
このように、柔道は当時国内の柔術諸流派において共通試合の統一流派となり、いわば国内の徒手格闘技を統括する立場としてあった。
しかし武徳会において、制定されていた従来の武徳会称号「範士」「教士」「精錬証受有者(昭和9年以降「錬士」)」の制度以外に、講道館柔道の採用に際し、修行の進みに応じて発行する講道館の制定した段級位も各部門において採用することとなる。当初は武徳会でも、柔道段位は講道館の認定の元、正式発行が行われていたが、時とともに講道館の認定を受けず独自に段位を発行するようになる。武徳会において段位を受けた者、修業をした者は武徳会に帰属意識を持つようになり、講道館と武徳会はそのことで軋轢も生まれ、云わば(講道館)柔道という一つの統一流派を、東の講道館と西の大日本武徳会という二つの組織が重なり合いながら時に対立を含みながら共存し互いに管理、執行するという構造になっていった。[8][9][10]
戦時中の柔道については
その後、1946年(昭和21年)11月9日、大日本武徳会は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令により強制解散し、柔道は武道禁止令の影響を大きく受けることになる。
しかし、日本における武道禁止令の解禁に先んじて、1932年にドイツにおいてヨーロッパ柔道連盟が発足するなど国内外の働きかけもあり、国内においても柔道の稽古や試合は次第に再開されていき、1950年、柔道は学校教育における再開を果たす。
日本の学校教育においては、明治31年(1898年)に旧制中学校の課外授業に柔術が導入された際、柔道も、必修の正課になった。
経緯については
太平洋戦争後、占領軍(GHQ)により学校で柔道の教授が禁止されて以降、武道は一度禁止されたが、1950年(昭和25年)に文部省の新制中学校の選択科目に柔道が採用された。次いで1953年(昭和28年)の学習指導要領で、柔道、剣道、相撲が「格技」という名称で正課の授業とされた[要出典]。
1989年(平成元年)の新学習指導要領で格技から武道に名称が戻された。2012年(平成24年)4月から中学校体育で男女共に武道(柔道、剣道、相撲から選択)が必修になった(中学校武道必修化)。
部活動としてほとんどの中学校、高等学校に「柔道部」があり、学習指導要領に沿った形で生徒の自主的、自発的な参加による課外活動の一環としての部活動が行われている。フランスや北欧などは日本のように学校管理下、教員顧問による指導の部活動自体がほとんどなく、地域のスポーツクラブに任意で加入して、そこで柔道の指導、練習を受けるのが一般的となっている。
民間道場での活動のほかに、企業の実業団活動が行われている。柔道がオリンピック種目となってから、企業は実業団による選手育成に力を入れ、現在は警察柔道を凌ぐ勢力となっている。
柔道の試合競技は、オリンピックでは1932年のロサンゼルスオリンピックで公開競技として登場し、1964年の東京オリンピックで正式競技となる。東京オリンピックでは、無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクが日本の神永昭夫を破って金メダルを獲得し、柔道の国際的普及を促す出来事となった。女子種目も1988年のソウルオリンピックで公開競技、1992年のバルセロナオリンピックでは正式種目に採用された。
世界選手権は1956年に第1回大会が開催され、女子の大会は1980年に初開催された。日本の女子は明治26年以来長年試合が禁止され、昇段も「型」が中心であった。1979年夏に日本女子の一線級と西ドイツのジュニア選手が講道館で対戦したが、日本は一勝三敗で二人が負傷し、ドイツ選手との腕力の差は日本の柔道関係者に衝撃を与えた[11]。
現在は世界中に普及し、国際柔道連盟の加盟国・地域は201カ国に達している(2012年4月現在)。日本以外では、韓国、欧州、ロシア、キューバ、ブラジルで人気が高く、特にフランスの登録競技人口は50万人を突破し、全日本柔道連盟への登録競技人口20万人を大きく上回っている(ただし、幼少期の数など両国の登録対象年齢が異なるため、この数字を単純に比較することはできない)。
また、この登録人口そのものに関しても一般に想起されるいわゆる柔道人口とは異なる。これは、柔道の役員、審判員、指導者、選手として公的な活動に参加するために行われる制度で全日本柔道連盟の財政的基盤でもある。日本国内では、学校体育の授業として経験した人、学生時代に選手まで経験したが現在は全く柔道着どころか試合観戦程度という人、子供と一緒に道場で汗を流しているが、段がほしいわけでも試合をするわけでもない人など、未組織の人たちがたくさんいる。講道館でも、地方在住者は初段になった段階で入門するのが通例であり、門人、有段者ではあるが、毎年、登録しているとは限らない。したがって柔道人口、登録人口、競技人口、講道館入門者数は意味合いが違う。
講道館柔道において稽古は、主に形と乱取りによって行われる。嘉納治五郎はこれについて「形とは、攻撃防御に関し予め守株の場合を定め、理論に基づき身体の操縦を規定し、その規定に従いて、練習するものをいう。乱取とは一定の方法によらず、各自勝手の手段を用いて練習するものをいう」と述べている。形と乱取りは別物と考えてはならない、根本の原理、その精神は変わりがないからである。また、初期の講道館における状況を嘉納師範は、次のように述べている。「明治維新の前は柔術諸流の修行は多く形によったものである。幕府の末葉にいたって楊心流をはじめ起倒流、天神真楊流その他の諸流も盛んに乱取を教えるようになったが、当時なお形のみを教えていた流派は少なくなかった。然るに予が、講道館柔道において乱取を主とし形を従とするに至ったのは、必ずしも形を軽んじたが為ではない。まず乱取を教え、その修行の際、適当の場合に説明を加えて自然と各種の技の理論に通暁せしむるようにして、修行がやや進んだ後に形を教えるようにしたのである。その訳はあたかも語学を教える際、会話作文の間に自然と文法を説き、最後に組織を立ててこれを授くるのと同様の主旨によったのである」。
また、嘉納は柔道の修行の方法を四種、「形」と「乱取り」の他に「講義」と「問答」についても挙げている。講義により、技の道理を解剖学、生理学、物理学などの観点からも学び、勝負上必要な心の修め方、心身鍛練に関する注意心掛けなどをまた学び、心理学、倫理学などの観点からも学び、それらについて時間を費やして説き及す必要性について嘉納は説く。またや勝負事があり修行者の心が勇んでいるときにはその場に適する話をし、祝日、寒稽古の開始式などにはそれ相応の講義をし、平素においては礼儀作法、人としての一般の心得など講義する必要を説く。そして問答により修行上の理解、応用を深めることの重要性について言及している。柔道の修行目的の「練体」「勝負」「修心」のうちの、徳性を涵養する、智力を練る、勝負の理論を世の百般に応用する、人間の道を講ずることを目的とする「修心法」についての内容を多く含む修行法となっている。
講道館柔道の技は「投技」「固技」「当身技」の3種類に分類される。投技は天神真楊流、起倒流の乱捕技をもとにしている。
固技や絞技は天神真楊流の技に由来していて、当身技は攻撃することによって受の急所に痛みを負わせたりするのに適した護身術である、とされる[12]。投技の過程を崩し、作り、掛け、の三段階に分けて概念化したことが特徴である。
またこれと平行して、一般的には、立技と寝技にも分類するが、寝技は審判規定において使われる寝姿勢における攻防のことであり、固技と同義ではない。絞技と関節技は立ち姿勢でも施すことが可能である。
練習形態は形と乱取りがあり、形と乱取りは車輪の両輪として練習されるべく制定されたが、講道館柔道においては乱取りによる稽古を創始当時から重視する。嘉納師範により、当身技は危険として乱取り・試合では「投げ」「固め」のみとした。そしてスポーツとしての柔道は安全性を獲得し、広く普及していく事となった。
試合で用いることができるのは、投げ技と固め技であり、講道館では100本としている[13]。しかし、実際のポイントになる技は92本である。(当身技は形として練習される。)競技としては投技を重視する傾向が強く、寝技が軽視されてきたきらいがある。しかし、寝技を重視した上位選手や指導者らによって寝技への取り組みは強化されるようになった。またIJFルールの改正によって寝技の攻防時間が短縮し決着の早期化が計られたことと、主に外国選手による捨て身技や返し技と一体化した寝技の技法の普及によって、寝技の重要性は一層増している。
投技とは理合いにしたがって相手を仰向けに投げる技術である。立って投げる立ち技と体を捨てて投げる捨身技にわけられる。立ち技は主に使用する部位によって手技、腰技、足技に分かれる。捨身技は倒れ方によって真捨身技、横捨身技に分かれる。また、関節を極めながら投げると反則ではないが投技とはみなされない。詳しくは投技を参照。
主に寝技で用いることが多いが、立ち姿勢や膝を突いた姿勢でも用いられ、固技のすべてが寝技の範疇に入るわけではない。(寝技と固技は互いに重なり合う部分が大きいとは言える。)
固技のうち関節技は、肘以外はあまり採用されず、現行の乱取や試合では肘以外に関節技をほどこすことは反則とされている。立技での関節技もほとんど行われていない。抑込技は、寝技の場面での攻防を続けるために、うつ伏せでなく、仰向けに抑えるのが特徴である。
絞技は、天神真楊流から多様な方法が伝わっており、柔道を首を絞めることを許すという珍しいルールを持った競技にしている。
創立当初、寝技はあまり重視されておらず、草創期に他流柔術家たちの寝技への対処に苦しめられた歴史がある。
分類
講道館柔道では固技が全部で29本あり、抑込技(おさえこみわざ)7本、絞技(しめわざ)12本、関節技(かんせつわざ)10本である。IJFルールでは一部異なるものがある。
抑込技(10本)
相手の体を仰向けにし、相手の束縛を受けず、一定時間抑える技。
絞技(12本)
頸部すなわち頚動脈か気管を、腕あるいは柔道着の襟で絞めて失神または「参った」を狙う技(胴絞は足で胴を絞める技で、乱取りでは禁止技である)。指や拳、帯、柔道着の裾、直接足などで絞めること及び頸椎に対して無理な力を加えることは禁止されている。
関節技(10本)
関節を可動域以上に曲げたり伸ばしたりして苦痛を与える技。現行の乱取りでは肘関節のみが許されている。
上記以外の技
当身技は、天神真楊流の技術を踏襲している。
当身技もしくは当技(あてわざ)とは、急所といわれる相手の生理的な弱点などを突く、打つ、蹴るなどの技であり、試合や乱取りでは禁止されているが、形の中で用いられる。そのため柔道では当身技が禁じ手・反則技として除外されたと思われている。講道館では極の形・柔の形、講道館護身術などに含まれる柔道の当身技について、「当身の優れたテクニック同様、こういった攻撃されやすいところ(編注:急所のこと)という認識は天神真楊流から伝えられてきたものである」としている[17]。極の形、柔の形は精力善用国民体育の形・相対動作の元になっている。極の形は、初め天神真楊流から引き継いだ形を元にしており真剣勝負の形と呼ばれていたが、武徳会時代に嘉納治五郎を委員長とし武徳会参加全流派からの代表を委員とした日本武徳会柔術形制定委員会によって講道館の真剣勝負の形を元に長時間の白熱した議論がなされ、柔術緒流派の技を加えて柔術統一形としての今の形となった。
一方、空手界側から柔道の当身技のうち精力善用国民体育の形・単独動作の当身技は唐手(現・空手)の影響を受けているという説が唱えられている[18] 点についても下に記載する。
当所(用いる部位)
臂(うで):
脚(あし):
上記は嘉納治五郎『柔道教本』(1931年)、*は『決定版 講道館柔道』講道館著(1995年)、『日本の武道』「講道館柔道の技名称一覧」日本武道館編(2007年)の分類に拠る。
当身技の大部分は、腕や脚でもって掛けられるが、頭部もときに使われる[19]。相手に抱きつかれたとき、前からならば前額部で、後ろからならば後頭部で相手の顔面を攻撃する[20]。
急所 急所は、天神真楊流の名称を踏襲している。
天倒、霞、鳥兎、獨鈷、人中、三日月、松風、村雨、秘中、タン中、水月、雁下、明星、月影、電光、稲妻、臍下丹田、釣鐘(金的)、肘詰、伏兎、向骨。
当身技は形の中で教授されるが、現在では昇級・昇段審査においても行われる事が稀である為、柔道修行者でもその存在を知らない事も多く、また指導者も少ない。
嘉納治五郎の体育と当身技を合わせた論考は、明治42年7月発行『中等教育』掲載の小論「擬働体操について」にある四方蹴と四方当についての記載や、『柔道概説』(大正2年)[21] などと続いて行き、昭和に入ってからは「攻防式国民体育」(昭和2年)として精力善用国民体育の形が発表され、『精力善用国民体育』(昭和5年)や『柔道教本』(昭和6年)等も併せて昭和2年から6年の間に発表された一連の著作で夥しい言及がなされている[22]。
研究成果は「精力善用国民体育の形」(単独動作・相対動作)としてまとめられたが、この形の制定理由について、嘉納治五郎は「私がこの国民体育を考察した理由は、一面に今日まで行われている柔道の形・乱取の欠陥を補おうとするにあるのだから、平素形・乱取を修行するものも、そこに留意してこの体育を研究もし、また実行もしなければならぬ」[23](昭和6年)と述べ、従来の講道館柔道の稽古体系に不足していた点を補う目的があったと述べている。
精力善用国民体育の形には、単独動作と相対動作がある[注釈 2]。下記の形は1930年(昭和5年)発行の嘉納治五郎『精力善用国民体育』による分類であるが、時期によって分類の仕方に多少の差異がある[25]。
単独動作:
高蹴)。
相対動作:
また、この形に使用されている当身技、特に単独動作の当身技については、嘉納治五郎の唐手(現・空手)研究の成果によるものとの空手界からの指摘がある[18]。
1922年(大正11年)5月、船越義珍は文部省主催の第一回体育展覧会に唐手を紹介するために上京してくる。その第一回体育展覧会における唐手の演武の実現は船越からの頼み込みを受け、その同郷の先輩であった東京高等師範学校教授の金城三郎の懇願を通して、当時大日本体育協会名誉会長として本大会主催者であり東京高等師範学校前学校長であった嘉納治五郎の斡旋により実現したものであった。
同年6月、嘉納は船越を講道館に招待して、唐手演武を参観した。その際全ての演武が終了すると、嘉納は師範席から立ち上がり、「形」の運足法や組手形の要領について鋭い質問した。当時、講道館には柔術や拳法の家系や流派出の専門家も沢山おり質問も専門的なものであった。船越と共に唐手の演武を行った儀間真謹は嘉納の質問の鋭さ、具体性に舌を巻きその際の緊張感について述懐している[26]。
嘉納が唐手に興味をもったきっかけは、1908年(明治41年)、沖縄県立中学校の生徒が京都武徳会青年大会において、武徳会の希望により唐手の型を披露としたときであったとされ、このとき「嘉納博士も片唾を呑んで注視してゐた」という[27]。
また、1911年(明治44年)、沖縄県師範学校の唐手部の生徒6名が修学旅行で上京した際、嘉納治五郎に招かれて講道館で唐手の演武、形の解説、板割りなどを行った。このときも「柔道元祖嘉納先生をして嘆賞辟易せしめた」という[28]。これは船越が上京する11年前の出来事であった。また、嘉納が沖縄を訪問した際には、本部朝基を料理屋に招いて唐手について熱心に質問するなど[29]、唐手に対して並々ならぬ関心を抱いていた。
嘉納は、「乱取だけでは、当身の練習ができぬ」と述べ[23]、当身技を研究した。講道館で唐手演武をした儀間真謹によれば、「この形(精力善用国民体育の形)の中には、沖縄唐手術の技法が随所に用いられている」と指摘し、その研究成果は精力善用国民体育の形としてまとめられた、と考えている[30]。
ただし、嘉納が明治42年に発表した「擬働体操」には竪板磨、四方蹴、四方当など、精力善用国民体育の形に含まれる鏡磨、五方蹴、五方当の原型とも考えられる動作が既に紹介されている。
なお、嘉納の船越義珍、本部朝基、宮城長順、摩文仁賢和等への接近やその上京への斡旋、協力などを通し、1934年には唐手の名称改め空手は嘉納の斡旋によって大日本武徳会の柔道部門への入部が認められることになる。空手の本土における上陸、全国的な普及活動の糸口となったのが講道館での演武会であり、それが近代空手道の出発点となる[31]。
講道館の設立当初においては、天神真楊流や起倒流の形がそのままの修行され、当身技の技法、概念もそこから継承され修行されていた[32][33][34]。その後、乱取り技や真剣勝負の技など目的ごとに整備分類され技も追加され、大日本武徳会における形制定委員会などを通して古流柔術諸流派との議論・研究の元、「実地に就いて研究の結果、遂に全員の一致を見るに至」[35] り、各流派の技も追加されていき、現在の形の姿になっていった。
嘉納治五郎は次のように書き残している。「従来の柔術諸派の形は、大別して見ると、起倒流、扱心流等を以て代表せしめ得る鎧組打系統の形と、楊心流、天神真楊流等を以て代表せしめる当身、捕縛術系統の形とに大別することが出来る。乱取の形の中、投の形は前者に属し、固の形と極の形は後者に属するものである。かくして出来た極の形も、未だ完全のものと認むることは出来ぬが、今日の儘でも、従来の柔術諸派の形に比して一段優れたものであるということはこれを明言し得る所であるー。」[35]
嘉納治五郎は、柔道形について次のように述べている。「形には色々の種類があって、その目的次第で練習すべき形が異なるべきである。勝負に重きを置いてする時は、極の形の類が大切であり、体育としても価値はあるが特に美的情操を養うというようなことを目的とする時は、古式の形とか、柔の形の類が必要である。体育を主眼とし、武術の練習、美的情操の養成および精神の修養を兼ねて行おうと思えば、精力善用国民体育に越したものはないというふうに、その目指すところによって異なった形を選択せねばならぬ。今日はあまり多くの種類はないが、形はどれほどでも増やすことが出来るものであるから、将来は特種の目的をもって行ういろいろの形が新たに出来てよいはずである」[36][37]。嘉納は、目的に応じて形を新たにつくり出されること、その必要性も想定していた。
現在、講道館が認定している形以外にも、例えば三船久蔵とその高弟の伊藤四男との共同研究で作られ、現在も国際武道院の昇段や日本柔道整復師会の柔道の大会においても伝えられ行われている「投技裏之形」[38] や、伊藤四男が創意工夫した「固め技裏之形」、三船久蔵による護身術の形[38]、山下義韶が制定した警視庁捕手の形[39]、平野時男の考案した「投げの形(応用)」や「五(後)の先の形」[40]、「七つの形」などのように、歴史的に見ると個人が創意工夫し創作された形も幾つも存在する。[41][42]
またヨーロッパにおいては技の種別毎や、目的に応じた様々な形の創作が流行っており、研究が行われ、実演されている実態もある。[43][44][45][46]
「Ukemi no kata」「Kaeshi no kata」「Renraku no kata」[43][44][45]「Renzoku no kata」「Hikomi no kata」[46]「Rensa no kata」「Atemi no kata」などが研究、創作され行われている。
今日周知されているような体育としての柔道観、人間教育としての柔道観以上に、嘉納治五郎の柔道観は元々幅の広いものであった。嘉納は柔道修行の目的を「修心法」「体育法(練体法、鍛錬法とも言う)」「勝負法(護身法とも言う)」(時に「慰心法」を含む)とし、柔道修行の順序と目的について、上中下段の柔道の考えを設けて、最初に行う下段の柔道では、攻撃防御の方法を練習すること、中段の柔道では、修行を通して身体の鍛練と精神の修養をすること、上段の柔道では終極的な目的として下段、中段の柔道の修行で得た身体精神の力を最も有効に使用して、世を補益することを狙いとした[47]。武術としての柔術(勝負法)をベースに、体育的な方法としての乱取り及び形(体育法)、それらの修行を通しての強い精神性の獲得(修心法)を同時に狙いとしていた。
その一方で嘉納は武術としての柔道について「まず権威ある研究機関を作って我が国固有の武術を研究し、また広く海外の武術も及ぶ限り調査して最も進んだ武術を作り上げ、それを広くわが国民に教へることはもちろん、諸外国の人にも教へるつもりだ」との見解を述べており[48]、研究機関を作り世界中の武術を研究して最も進んだ武術を拵えたいとの考えも持っていた。
嘉納は柔道に柔術のもつ武術性を求めていたが、しかし勝負に効き目ある手(当身技)が危険であり教えることが難しいため、従来の柔術諸流派の修行法と同じ様に「専ら形に拠って練習」 しなければならぬとした。しかし形だけではなく、そこから先へと進めた、当て身を含む乱取りも工夫すべきという考えを嘉納は早くから持ち続けた。 1889年の講演「柔道一班並二其教育上ノ価値」の中において、嘉納は当身を含み対処する柔道の「勝負法の乱取り」の可能性、構想について述べている。「初めから一種の約束を定めていき又打ったり突いたりする時は手袋の様なものをはめてすれば、勝負法の乱捕も随分できぬこともない。形ばかりでは真似事のやうで実地の練習はできないから、やはり一種の乱捕があったほうがよい。」とし勝負法の技を実演している。 その際、勝負法の形のうちから簡単な技として5つほど、
を実演し、またその上に種々込み入った手があり大抵の場合に応ずることを目的とするものであることを説明する。
嘉納は古流柔術の定義について「無手或は短き武器を持って居る敵を攻撃し又は防御するの術」とし、柔道の修行・技術についても「その修行方法は攻撃防御の練習によって身体精神を鍛錬修養し斯道の真髄を体得することである」「攻撃防御の練習、柔道でいう攻撃は、便宜上、投、固、当の三種に分けることとしている。投とは場合場合でいろいろの動作をして対手を地に倒すことをいい、固とは絞業、関節業、抑業の区別はあるが、要するに対手の体躯、頸、四肢などに拘束を加えて動けなくしまたは苦痛に耐えられぬようにすることをいい、当とは手、足、頭、時には器物または武器をもって対手の身体の種々の部分に当て苦痛を感じしめ、または死に至らしめることをいうのである。そうして防御とはこれらの攻撃に対して己を全うするために施すいろいろの動作をいうのである。」[49] と述べている。柔道の当身の中に武器術、対武器術の概念を含むことを述べている。
嘉納は理想の柔道教師の条件として、「無手は勿論、棒、剣を使う術においても攻撃防御の術に熟練し、勝負上の理論も心得、同時に体育家として必要な知識を有し、且つその方法にも修熟し、また教育家として必要な道徳教育の理論にも通暁し、訓練の方法にも達し、のみならず柔道の原理を社会生活に応用する上において精深なる知識を有し、方法をわきまえている」[50] 人物としている。嘉納の理想としての柔道の攻撃防御の修行には無手のみではなく武器術を含むものであったことが伺える。
また嘉納は大正15年(1926年)、当時の機関誌「作興」に、「武術としての柔道は無手術はもちろん、剣術、棒術、槍術、弓術、薙刀その他あらゆる武術を包含する」と書き、「剣術、棒術はいずれも価値あるものと認むるが、剣術の試合の練習はすでに世間に普及しているから、差し当たり無手術の他には剣術および棒術の形をするつもりである」と述べている。[51][52]
嘉納はそのような修行形態を再試行する目的で、1928年に講道館内に「古武道研究会」を立ち上げ、柔、剣、棒、杖術等の古い武術の保存と柔道としての体系化への研究に進んでいる。
参加メンバーの望月稔は、古武道研究会について「武術が殺傷の技術であったのに対し、武道は青少年の体育、徳育、知育に志向した教育手段として近代化されたものである。従って技術的には殺傷の技としては有効であっても、体育的には不適当と見做された多くの技が全て淘汰されてしまった。嘉納治五郎先生は大正の末期から、之に対する再検討に入られて、当時既に消滅に瀕していた古流武術の保存に力を入れられたのである」[53] と述べている。
嘉納亡き後も、嘉納の求めた「離れて行う柔道」の試行は望月稔や富木謙治などに引き継がれ、1942年に講道館2代目館長南郷次郎時代に講道館において「柔道の離隔態勢の技の研究委員会」が設置されている。中でも富木謙治による離れて行う柔道の当身と立ち関節を主体とする「離隔態勢の柔道」の研究は、講道館護身術や合気道競技(柔道第二乱取り法)などとしてまとめられることになる。
富木謙治は、嘉納治五郎の遺した言説から、古流柔術各流派、合気柔術(合気道)、また剣術(剣道)を包括する嘉納の『柔道原理』を分析する。また柔道の技を、従来の乱取で行われる組む技(第一部門)「投技」、(第二部門)「固め技」と、従来の形で行われる(打・突・蹴や武器に対峙する)離れた技(第三部門)「当身技」、(第四部門)「(立ち)関節技(手首関節や肘関節を捕っての立ち関節技や居取り技の投げや固め)」、の4種に再度分類し、「投技」「固め技」の従来の乱取に対して、「当身技」「関節技」によって行われる柔道の第二乱取法を提唱する。
富木は、嘉納の帰納した古い各流柔術に一貫する基本術理としての「柔道原理」を、「自然体の理」、「柔の理」、「崩しの理」の3つにまとめ、攻防の理論として、また「投技」「固め技」「関節技」「当身技」のわざをそれぞれの状況に当てはめる。
1、「攻防」に即応する、自在な姿勢の取り方として『自然体の理』 (変幻自在、臨機応変に、且つ「不動心」や「心身一如」「動静一如」の禅の心法に通じる「無構え」の思想)
2、「防御」の立場で、相手の攻撃を無効にする柔らかい働きかけとして『柔の理』 (「不敗の理」の柔軟な体の運用)
(1)「組んで」相手の力を流す
(2)「離れて」相手の斬突をかわしうける
3、「攻撃」の立場で、相手の姿勢のバランスを崩して勝機を「つくる」『崩しの理』 (古流柔術の技の本質・中心技法としての「倒すこと」と「抑えること」)
(1)「組んで」相手の襟・袖(着物、服、又は手や首、胴、脚など)をつかんで崩す
(2)「離れて」相手のあご・肘・手首に触れて崩す
・相手の手首または前腕をつかむことによって、特にそのつかんだ腕をひねることによって相手の「姿勢」を崩す場合。「関節技」
・相手の体、特に顔面に力を加えることによって相手の姿勢を「崩す」場合。「当身技」
崩しの理において富木は「つくり」と「かけ」をそれぞれ重視する。またその中で富木は、柔術における「「わざ」の大目的は「倒すこと」と「抑えること」の二つに帰することが出来る」とし、柔道の第一乱取、第二乱取のそれぞれの技の分類に当てはめる。
○「倒すこと」の練習
第一の場合
「組みついて」からかける「わざ」の練習であって、主として、お互いが襟・袖(着物、服、又は手や首、胴、脚など)に組みついて、足や腰のはたらきによる「わざ」を練習する。(「腰技」「足技」など「投技」)
第二の場合
「離れて」相手の打・突・蹴や武器の斬突を防ぎながらかける「わざ」の練習であって、主として、手刀(広義)のはたらきによる「わざ」を練習する。(「当身技」)
倒すときに腕手首をとる。(「関節技」)
○「抑えること」の練習
第一の場合
「寝技」に属する「わざ」の練習であって、主として、相手を「仰向け」の姿勢に抑えることを練習する。(「固め技」)
第二の場合
「座技」(柔道形における居取り技)に属する「わざ」の練習であって、主として、相手を「うつ伏せ」の姿勢に抑えることを練習する。(「関節技」)
なお、富木は「当身技には二つの性格がある」、「一撃必殺の打・突・蹴の威力を発揮するもの」で「拳・手刀・肘・足などの鍛錬に重点を置く」(衝撃的破壊的なもの)、「相手の姿勢の「崩れ」に乗じて、一点の力の働きで相手を「倒す」」もの(柔らかい力の働きであるが、加えた力が持続的であることによって相手を「倒す」ことが出来る)があり、「「当身技」における二つの性格の相違は、その練習方法においても根本的に異なる」と説明する。[54]
また、富木は嘉納の言説における、「『柔道原理』で剣を使えば剣術となり、槍を使えば槍術となる」の思想から、「「柔道原理」の中には「剣道原理」も吸収されていることを意味する」とし、
(相手に触れないで斬突する)剣道原理
1、目付 2、間合 3、刀法
を基とする「手刀」法の働きを持っても「柔道原理」を分析する。
富木は「柔道原理」の手刀法として、「相手の打・突・蹴や武器による斬突を、刀法の術理で防御するばかりでなく、相手が自分に「組み」つこうとするのを瞬間的にそれを止める働き、また、「組み」つかれてから、それを「離脱」するはたらきなど、すべて広い意味での「手刀」の働き」とした。[55]
神田久太郎九段は「巨人に対する技術の研究」として、古流柔術各流派の中にあった「自分より大きい対手を組む前に投げる技」として「各流派の文献を見たり古流の先生方に聞いたりし」研究を進め、「朽木倒し」「双手刈り」として整備し乱取技として完成させ、嘉納治五郎に認められ正式に柔道技に採用された[56][57]。また「踵返」は三船久蔵が編み出した技とされている[58]。
また一方で嘉納の志向した武術としての柔道とは異なる流れとして、海外に渡り柔道普及活動の一環で異種格闘技を戦い名声を上げた谷幸雄や前田光世などの活躍もある。
世界を戦い渡り歩いた前田光世は旅先から日本在住の友人薄田斬雲宛にいくつかの手紙を送っており、幾多の戦いを通しての異種格闘技戦の「セオリー」が詳細に記録されている。そこでは前田が対峙したレスリング(西洋角力)やボクシング(拳闘)に対する歴史的分析、対策、勝負時の条件等を考察している。前田はレスリング、ボクシングの油断ならない面倒であることを述べながら、同時に柔道こそ世界最高の総合的かつ実戦的な格闘技だという自負を語る。「我が柔道は西洋の相撲(WRESTLING)や拳闘(BOXING)以上に立派なものであることは僕も確信している。拳闘は柔道の一部を用いているだけで、護身術としては幼稚なものだ。(中略)(拳闘は)個人的なゲームで、八方に敵を予想した真剣の護身術ではない。だから体育法としても精神修養法としても、また理詰めの西洋人流に科学的に立論しても、我が柔道と彼らの拳闘とは優劣同日の談にあらずである。」前田はその言説において柔道=護身術と明確に定義しており、その体系にレスリング、ボクシング技術や当て身の突きや蹴りを内包するものという主張が見受けられる。[59]
また、前田は異種格闘技を戦うその練習の上において現在におけるオープンフィンガーグローブの原型を考案し、前田の日本に宛てた手紙をまとめた単行本『世界横行・柔道武者修行』(1912年)、『新柔道武者修行 世界横行 第二』(1912年)においてその言及が確認出来る。 「何らかの道具を新案して、当てる蹴るの練習をする必要がある。僕はいま、ゴム製の拳闘用手袋風にして、指が一寸ばかり(約三センチ)出るようなものを新案中だ。それから、軽い丈夫な面を、これもゴム製にして、目と鼻腔の呼吸をなし得るものを新案中だ。胸は撃剣の胴のようなものをつけてもよい。これで当てることと蹴ることの練習をやる。それから袖をとりに来る手の逆を取ること。以上の練習は柔道家には、ぜひとも必要と考える。」[60][61]
また、フランス柔道の父川石酒造之助の「川石メソッド」などの例からも、海外に渡った柔道家の残した柔道技術の中には現在国内においては失われたものもあることが伺える。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界の軍における格闘技というのは基本的に軽視されていた。
戦争はほとんど砲と銃で戦う時代であり、この時代の近接戦闘と言えば主に騎兵が使う軍刀(サーベル)と、歩兵がライフルに装着(着剣)して槍のように使う銃剣で戦うことだった。しかし第一次世界大戦では、大規模な塹壕戦が繰り広げられた。塹壕内での極めて近い距離、狭い場所での戦闘が頻発したことで近距離向きの銃器や手榴弾以外に、敵に悟られないように塹壕に侵入していくことも重要だったため、音を出さない白兵戦用の武器も重視された。そうした白兵戦で敵に対処するために防御側も同様の至近距離での戦闘技術が必要となった。このため各国で近接戦闘の工夫がされていった。塹壕戦によって近い距離で戦う武器術や格闘技術が求められるようになっていったのがこの時代の最大の特徴であり、軍における訓練では近接戦闘のために既存の格闘技を取り入れるようになった。第一次大戦を境に軍隊格闘技・近接格闘術の基として注目された格闘技の一つに日本の柔道や(古流)柔術がある。そしてこの時期の徒手格闘術はボクシングや柔道が中心となっている。
柔道や柔術の海外への伝播はちょうど第一次世界大戦前であり、多くの柔道家・柔術家が海外に渡って普及活動を行っている。アメリカなどでは第一次大戦前、柔術ブームとでも呼ぶべき現象が起きていた。またそこには当時、日清・日露戦争での勝利に対して世界から向けられた日本への興味、東洋趣味からの観点や、嘉納治五郎の教育者の立場からの部下にあたるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)などによる柔道(柔術)の海外への紹介、また嘉納治五郎自身の渡欧の影響なども柔道・柔術ブームへの影響が見受けられる。 アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの信頼を得て合衆国海軍兵学校の教官として講道館柔道を教えた講道館四天王の一人山下義韶(のちの史上初の十段位)などの例や、講道館柔道を学びロシアにおいてサンボの創始者となったオシェプコフの例などから、米露英仏など各国で柔道は軍隊近接格闘技要素に取り入れられていった。
イギリス人のウィリアム・E・フェアバーンが開発し、第二次世界大戦で各国で採用され高評価を得た、現代軍用格闘術の源流・基礎ともいえるフェアバーン・システムにおいても柔道技術は採用されている。
日本においては明治維新、柔道創設以降、陸軍士官学校、陸軍憲兵学校、海軍兵学校等の軍学校で柔道が取り入れられ盛んに行われた。またそれとともに大日本武徳会で講道館柔道が柔術部門を統一する立場となる役割の流派として正式採用され、大日本武徳会武道専門学校で稽古が行われた。
嘉納治五郎の没後、第二次世界大戦が起こり戦況が拡大するにつれ、昭和十七年に従来の大日本武徳会は改組が行われ、内閣総理大臣東条英機を会長とする大日本武徳会(新武徳会)が結成される。
昭和一八年(1943年)、新武徳会において「実戦的修練を目標とし、白兵戦闘に実効を挙げ得る短時日の修練」を旨とした「柔道の決戦態勢とも言ふべき」内容の新武徳会における柔道の指導方針が発表される。 柔道の実戦性についての再検討は嘉納治五郎存命中の頃より始まっており、嘉納の述べる「当て身」や「形」を怠ることのない「真剣勝負」の重要性の主張と矛盾するものではなかった。
新武徳会は柔道範士、栗原民雄(後の講道館十段)を中心とし、柔道の戦技化を推奨していく。栗原は柔道を相手と「離れた場合」・「組んだ場合」の二つに分け、離れた場合「極の形に躱攻動作を応用し、起こり得べき種々の場合を想定し、その組み手を多くして之れを練習し、相当習熟した場合は防具を使用して乱取り程度まで修練すればよかろう(中略)相手を単に一人と想定せず、常に数人と仮想して研究することも怠ってはならない」と述べた。 次に組んだ場合には「指関節や腕関節を取ること」の復活研究を説き、また「古流」の研究と応用に留意すること、温故知新の必要性も説いた。
新武徳会に先立ち講道館においては、昭和一六年(1941年)「立ちたるまま絞技、関節技を掛け、技が相当の効果を収めた場合に限り寝技に移れる旨改正され」立った状態からの固め技を認めるようになっていた。
新武徳会で新たに作成された柔道審判規定では「第二条 試合は当身技、投げ技、固め技を以て決せしむ、但し普通の試合に於いては当て身技は用ひしめざるものとす」と条件付きであるが、当て身技の使用を認める条項が追加される。 防具着用によって当て身技のある試合の安全性に配慮しながらも、特殊なケースとして防具を使用しない試合の実施も示唆されていた。
また関節技も緩和されることになる。
第十一条 関節技は次の基準により之を行わしむ
として等級称号によって制限はあるが、脊柱以外の全ての関節への攻撃が許されている。
また技術以外の面でも柔道試合の戦技化は図られた。
稽古場、服装として「柔道は戸外に於いても如何なる服装にても実施し得るやう工夫し砂場芝生等を道場として活用せしむこと」とされた。稽古においては「特に青少年に重点を置き野外戦技を弊習せしむこと」とされた。稽古の形態は「従来個人的修練のみに傾き易きに鑑み特に団体的訓練を教習せしむこと」とされ複数人で自由に攻防をする自由掛けなどが行われた。 さらに「錬士以上の者にありては当て身技を併用し試合せしめ」ることとし、乱取りが課せられた。しかし乱取りばかり行うことは戒められ、 「修練は短時日に於いて白兵戦闘に実効を挙げ得るよう基本動作及び技術(形を含む)を修得せしむこと」となり、「基本動作」「形」といった稽古法の価値が戦闘訓練の文脈で再評価された。 また柔道指導者に対しては「己が任務の遂行を期すると共に剣道銃剣道を始め武道各般ににつき努めて研修すべきこと」と、あらゆる武道を総合的に稽古することが求められた。 [62]
また戦況が深刻になるにつれ、学校においても明治以来の「体操科」は新たに「体錬科」と名称を変える。政府主導の国民学校体錬科においては皇国思想の養成と戦技能力の鍛錬が求められた。体錬科の教材として「教練」、「体操」(徒手体操、跳躍、懸垂、角力(相撲)、水泳など)、「武道」(剣道、柔道、銃剣道)が課せられ、柔道と剣道は偏ることなく併せて行い、常に攻撃を主眼として行うことが説かれた。 体錬科武道の柔道の内容は、「基本」として「礼法」、「構」、「体の運用」、「受身」、「当身技」が教えられ、「応用」として「極技」、「投技」、「固技」があった。この当身技は、精力善用国民体育の単独動作の技であり、極技は相対動作の技と一致している。柔道技術の中の当身技が「基本」として重視され、戦時下において、柔道は実戦を目的とした教材に変えられたと言える[63]。第二次大戦下「体練科武道」が実施される間、当身技は学校柔道を中心にして組織づけられ、発展した。柔道の当身技は武術的に取り扱われ、基礎的な修練から進んで撃突台や撃突具を使用しての実戦的な指導に進み、終戦末期に至っては、当身技は従来の指導体系を放棄して、白兵戦闘的動作へ移行し、そこで終戦を迎えた[64]。
大戦の終戦に伴い、日本の民主化政策の一環としてGHQとその一部局であるCIEによって「武道」の実施に対する処置が検討された。CIEは武道を軍事的な技術(Military Arts)とみなし、国民に軍国主義を養成するものとして警戒した。これに伴い武道という枠組みに位置付けられていた柔道は、剣道や弓道同様に禁止された。(武道禁止令)
さらに戦時中に軍による統制を受けていた大日本武徳会も「依然軍国主義的団体としての建前をとっている」とされ解散を余儀なくされた。
しかし柔道復活の陳情は相次ぎ多く、文部省による請願書による
の説明、改革案が総司令官に提出される。そこで提示された新しい柔道は、“競技スポーツ”として向かう下地があったと言える。これに対しGHQから「学校柔道の復活について」という覚書が日本政府に出され、CIEからの注意事項として「実施してよい柔道とはあくまでも大臣の請願書に規定された柔道であること」とされた上で、その復活が認められる。
しかし「2.実施方法について」において、○段別の外に体重別・年齢別の試合の実施、○戦時中行ったような野外で戦技訓練の一部として集団的に行う方法の全面的廃止、などと並んで、○当身技、関節技等の中で危険と思われる技術を除外する旨が請願書には含まれており、その当身技や関節技を中心に構成された精力善用国民体育は武術的色彩が強いということで行われなくなってしまうこととなる。
嘉納治五郎が生前に考案し発表した精力善用国民体育は、GHQの警戒した武術的側面のみではなく、体育として徳育としても従来の柔道を補完するものであり、練習法においても単独練習を可能にするものであり、嘉納の柔道の精神、「精力善用・自他共栄」の思いを強く含むものであった。
嘉納の万感の思いのこもった精力善用国民体育が、占領期間中の禁止・制限が解かれることなく占領後もなおも軽視されていることを惜しむ声は依然今も挙がっているものである。[63]
そして戦後スポーツとしての柔道が国内の斯界を風靡し、修行者はもっぱら乱取り練習に興味を持ち、試合における勝敗にのみ熱中するようになっていった。形は閑却され、当身技の研究も習練も軽視されおろそかにされていた。しかしながら皮肉にも欧米各国では、護身術(セルフディフェンス)の重要性が強調され、柔道の当身技が盛んに行われていた実態がある[64][65][66]。
戦後、日本の敗戦のため行われたGHQによる占領政策としての柔道のスポーツ化の流れの一方で、再び武術・武道としての柔道の再生を求める動きとして、1950年に、その乱取り競技内においてもほぼ全ての関節技の解禁などの実験的ルールを採用した武道・武術を志向した国際柔道協会(プロ柔道)も興っている。
明治後期から第二次世界大戦後にかけて外国人ボクサーと柔道家による他流試合興行「柔拳試合」が流行し行われていた歴史がある。戦前の柔拳興行は嘉納治五郎の甥の嘉納健治によって隆盛し、戦後の柔拳興行は万年東一によって行われている。
日本伝講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は、武術に教育的価値を見出し整備した武道のパイオニアであり、武術家としてその実績から「維新以降百年の柔術界の最高の偉人」[67] と評される武術・柔術界の第一人者であった。
それと共に、教育界における教育者としての観点からも、若くして学習院大学教頭や東京高等師範学校(のちの東京教育大学を経た現・筑波大学)校長などを歴任し、灘中学校・灘高校の設立にも尽力するなど第一人者であった。
また体育面・日本体育における観点においても「日本体育の父」、「教育上、体育を尊重し、体育の地位の向上をせしめたる卓見と努力は、他に比較すべき人を見ない」[68] と言われるように卓越した見識を持ち、アジア初のオリンピック委員、大日本体育協会初代会長などの実績からも見られるように、嘉納は武術家・武道家としての面以外にも教育者としても卓見であり、また西洋の他の格闘技や体育・体操・スポーツへの知識、造詣も深くあった。
嘉納が古流柔術の修行を修め、柔道が創始された明治初期の日本では、一刻も早く欧米列強に肩を並べ対峙できるよう近代化を推し進めることが至上命令とされ、「富国強兵」「殖産興業」というスローガンによって強い国家を構築することが重要な国策となっていった。国民の「体力の向上」が国家的課題となり、それは教育界においても、いわゆる「国民体育」の概念の下で身体鍛錬が重視され、そのための具体的な内容と方法が模索され続けた。
学校教育では、体育が実施されるようになり、その中心教材には欧米に倣って西洋式の体操が位置づけられた。医学・生理学に根拠を持つ体操を採用した文部省では、体操を万能とする体育観が支配的となった。
明治10年代頃から国内の学校教育の場への武術の正科採用を推す声が武術家を中心に出されるようになり、ついに明治16年文部省は体操伝習所に対し剣術や柔術の教育に対する利害適否を調査するよう通達した。
そこで行われた剣術、柔術への、実施、医学的検討、視察、調査の結果として、明治17年10月、体操伝習所は次のような結論を出した。(体操伝習所答申)
二術(剣術、柔術)の利とする方
害若くは不便とする方
その理由から
とされ、武術の正課体操教材化はならなかった。
その5年後にあたる明治22年、当時29歳であった嘉納治五郎は大日本教育会の依頼により、文部大臣榎本武揚やイタリー公使らの出席を仰ぎ、「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」と題して講演を行った。
講演「柔道一班並ニ其教育上ノ価値」においては、明治17年の体操伝習所答申に沿う形で構成されており、害若しくは不便とする方として挙げられた条件を一つ一つクリアーしていく形で構成されている。
そこでは講道館柔道を従来の(古流)柔術から更に進めた柔道勝負法(柔道護身法とも言う)、柔道体育法(柔道練体法、柔道鍛錬法とも言う)、柔道修心法の分類により、修行目的、効用、修行方法を分けて考えた上で構成された。講道館柔道では「体育、勝負(武術の真剣勝負の方法)、修心の三つの目的を持っておりまして、これを修行致しますれば体育も出来勝負の方法の練習も出来、一種の智育徳育も出来る都合になっております。」と述べて、柔道の目的として体育と勝負と修心の三つを挙げ智徳体を学べる、と説いた。
講道館柔道の独自性・理論的大系・教育界における影響力は、この嘉納の講演「柔道一班並ニ其教育上ノ価値」によって公に知るところとなり、武術改め武道の教育の場における正規採用に大きな影響を与えていくことになる。
「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」において、柔道体育法の効用は乱取りと形の両立で説かれる。
乱取りにおいては「身体の強化」や、実践者が「興味・面白み」を得られるという点、「主体性の育成」の点から価値を説く。
形においては、学校体育の主目的たる「身体の調和的発達」の観点、「乱取」を補完するものとして必要性を強調し、老若男女が実施可能なものとしてしつらえ、「大衆性」や「生涯性」を備えた体育法として位置づけた。
体育法における乱取りと形に嘉納は工夫をこらすことになる。
従来の乱取りは体育としての利点がある反面、初学の者が方法を誤ると運動が過激になり過ぎ危険を生じることも懸念される。そのため嘉納は、子どもの発達段階と技の難易度を考慮した乱取技の指導順序を示して、学校柔道に適した段階的指導の方法を整備していく。
また柔道における形はその目的から、それぞれ乱取りの形(投げの形、固めの形)、体操の形(柔の形、剛柔の形)、真剣勝負の形(極の形、講道館護身術、女子柔道護身法)、古式の形など目的用途ごとに分けられるが、嘉納は「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」において柔道体育法の目的に沿うものとして、その中から体操の形として体育法の形第一種(剛柔の形)、体育法の形第二種(柔の形)を挙げる。昭和期に入るとさらに改良を加えた「精力善用国民体育(の形)」を嘉納は考案し、学校柔道において「形」から「乱取」へという教習課程を確立していくことになる。
また嘉納は「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」において柔道体育法として乱捕を体操に用いる際に怪我がないために、また道場を離れた日常においても車から転げ落ちたり梯子を踏み外したり他人から害を加えられかかったりしたとき危険を避けることの出来る利益のあることとして、危険を避ける方法として種々の受身の方法論と重要性を説明している。
このような嘉納による学校柔道における教授内容・方法を整備・確立するための工夫の過程に共通する視点は、「易しいものから難しいものへ」ということである。それは、初学の者を対象とする学校柔道における段階的指導の観点の一環として捉えることができる。
嘉納は柔道の体育法の目的・優位性・効用として、「強・健・用」(強化・調和的発達・実用性)を挙げる。
昭和5年嘉納は「理想的体育」として次の条件・内容を述べている。
また柔道修行における必要な医学・生理学的根拠を学ぶ方法・場としては柔道の修行法の一つ「講義」を設け、それによって補完する必要のあることを嘉納は述べる。
柔道修行におけるその強度の違い、真剣勝負(武術)、競技、教育目的の体育、はその修行方法、修行者を考慮して行われるべきものである。
武術としての真剣勝負の柔道勝負法の修行は、「柔道勝負法とは、人を殺そうと思えば殺すことが出来、傷めようと思えば傷めることが出来、捕えようと思えば捕えることが出来る。又相手がその様なことを仕掛けてきた時、自分は能く之を防ぐことの出来る術の練習である。要約すると肉体上で人を制し、かつ人に制せられない術といえよう。」と嘉納は説明するものであり、急所への当身技、武器術を含む柔道の勝負法の修行方法は「たやすいものではない」と嘉納は述べる。
またチャンピオンシップにもとづいた競技中心の柔道においては「強い選手を育てること」に主眼が置かれる「強者のための柔道」であり、そこには弱者に対する配慮はほとんど行われない可能性があるという指摘がある。その一方で教育として行われるべき学校柔道は初学の者を対象としており、競技として行うことはできない「弱者」(例えば、子どもたち)に適した指導がなされるべきである。各々の柔道の修行目的、修行方法を見極める必要がある。
講道館柔道の創始者嘉納治五郎は、明治22年に行われた「柔道一班並ニ其ノ教育上ノ価値」の講演において、柔道の三つの目的「柔道勝負法」「柔道体育法」「柔道修心法」のうち、「柔道修心法」について主に三つの効用を挙げる。
嘉納は日本における古くからの高等教育の手段とされて来た武芸の精神を受け継ぐ柔道の修行によって、自ら「自国を重んじ」「自国の事物を愛し」「気風を高尚にし」「勇壮活発な性質」などの徳性を涵養することが出来るとする。また、礼に始まり礼に終わる柔道の修行は正しい礼儀作法を身に付け、かつ、自主、沈着、真摯、勇気、公正、謙譲等の諸徳目を涵養することが出来るとする。しかし、これらの徳性の涵養は、柔道の修行の固有の性質から自然に涵養することのできるものと、柔道に関係ある総ての外囲の事柄を利用して、特に徳育上の教育を施してその目的を達するものとがあり指導上留意する必要があるとした。前者は柔道修行のうち「乱取り」「形」から学び、後者は柔道修行の「講義」と「問答」の修行によって学ぶ必要性がある。
嘉納の述べる柔道修行から学べる徳目の例を具体的に挙げると次のようになる。
嘉納は柔道の修行、柔道修心法を通じて会得を目指す智力について多くある中で一部分として主に次のように挙げる。
「観察」、「注意」、「記憶」、「推理」、「試験」、「想像」、「分類」、「言語」、「大量(新しい思想を嫌わず容れる性質と種々さまざまなことを同時に考えて混淆せしめぬように纏める力の二つ)」、「その他」となる。
嘉納は柔道の修行について、勝負道の追求でもあり、勝負に勝つことが重要な目標になるともする。その勝負に勝つための理論は、単に勝負のみでなく、世の政治、経済、教育その他一切の事にも応用できる物であるとする。その応用の部分は修心法の中でも随分面白くもあり有益であると嘉納は説く。嘉納の挙げる勝負の理論の応用の例について要約すると次のようになる。
自他の関係を見ること 迅速な判断 先を取れ(先の先、先、後の先) 熟慮断行 先を取られた時のなすべき手段 我を安きに置き、相手を危うきに置くこと 止まることを知ること 制御術 その他 等である。また、練習の必要 駆け引き 彼我の接触 眼の着けどころ おのれを捨てること 注意、観察、工夫 最善を尽くす 進退の仕方 あらゆる機会を利用する 格外の力に応じる時の心得 業に掛った時の心得なども嘉納の発言・著作から伺い知ることが出来る。
嘉納はこれらの教えは、単に柔道勝負の修行のみでなく、総て社会で事をなす上で大きな利益の有るものであるとした。
最後に最も肝要なる心得の一つとして「勝ってその勝ちに驕ることなく、負けてその負けに屈することなく、安きに在って油断することなく、危うきにあって恐るることなく、唯々一筋の道を踏み行け」の教えを強調して、いかなる場合においても、その場合において最善の手段を尽くせということを嘉納は強調する。 [69]
柔道は世界的に普及が進み大きく広がり受け入れられる中で、フランスにおいても幅広く受け入れられ、その教育的効用も受け継がれている。
その背景について、次のような意見がある。
「東洋文化の象徴でもある柔道。だが、フランスには受け入れる土壌もあった。粟津(粟津正蔵)の教え子で、1975年にフランス初の世界王者(男子軽重量級)になったジャン=リュック・ルージェ仏柔連会長は「礼儀を重んじる柔道の武士道とフェンシングに代表される騎士道には共通点がある。国民性に合っていた」と指摘する。」[70]
戦前にフランスに渡ったフランス柔道の父川石酒造之助が考案した指導法は「川石メソッド」として、今も活用されている。イギリス柔道の父と呼ばれロンドン武道会において柔道を指導していた小泉軍治が考案し、川石もフランス柔道指導で導入採用した、従来の白帯以降、黒帯になるまでの間の各級位を細分化して表す種々の各種色帯は、フランスでの柔道普及に大きく貢献し、現在は日本にも逆輸入され級位の指導において導入されている以外にも様々な武道、格闘技でも採用されている。
またフランス柔道には、武士道と騎士道を融合させた「8つの心得」(le code moral du judo)があり、教育的目的、価値として重視される。
そのフランス柔道における「8つの心得」として、
が挙げられる。
そこには新渡戸稲造が『武士道』において挙げる徳目の、「礼儀」「勇気・敢闘及び忍耐の精神」「義」「克己」「誠実・信実」「仁・惻隠の情」「名誉」「忠義」と通ずるものであることが分かる。
また、フランスにおける柔道の指導者資格は国家的ライセンスとなっており、その300時間に及ぶ講習は柔道の座学として、医学的見地などや修心的要素も学ぶものであり、嘉納の挙げる柔道修行法の一つ「講義」の応用となっていると言うことが出来る。
残心(ざんしん)とは日本の武術、武道および芸道において用いられる言葉であり、武術、武道としての柔道における残心は、「相手を投げた後、相手の反撃に備える態度と心構え」[71] 等、技を決めた後も心身ともに油断をしないことを言う。たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることが有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心である。
投げ技で崩れず態勢を保つ、立技から寝技へのスムーズな移行、相手の当身を意識する、当て身を含む形の技法においてはとどめの当て身を入れる動作をする等も柔道における残心となる。なお、柔道の投げ技には捨て身技も含まれており、寝技の攻防技法も含まれ、形の技法の中には居取り技も含まれるため、常に立ち姿勢で残心を取る訳ではないことを留意する必要もある。
講道館柔道の母体の一つになっている天神真楊流においては、技を行う前の心構えとして「前心」、技の挙動中の心の動きとして「通心」、挙動を終わって我が目を相手に注ぐこととして「残心」を説き、前心、通心、残心まで気を抜いてはいけないことを説いている。[72][73]
また、残心は、茶道や日本舞踊など日本の芸道にも用いられるように、柔道における礼法にも通じる。何があっても興奮せず、油断せず、ゆとりを持ちながら周りを意識し、感情を抑えて冷静な態度・平常心を保ち、謙虚に勝敗を受けとめ、相手の気持ちを考えることができる。実戦から生まれたこのコンセプトは、確実なことがないという覚悟と同時に、倒した敵に対する懺悔と敬意を表す。[74]
安全面において:全日本柔道連盟主催の安全指導講習において、体育としての指導、初心者指導における柔道の「受け身」を指導する際、安全に受け身が取れるために、安全面でのキーワードとして
(1)危険な時は自ら倒れる「潔さ」
(2)相手を投げる時は倒れない「残身(心)」
(3)互いの柔道衣を引っ張り合ってバランスを保つ「命綱」
の大切さを強調している。
嘉納治五郎は1889 (明治22) 年に大日本教育会において文部大臣らを招き、「柔道一班並ニ其教育上ノ価値」と題した講演を行い,柔道の目的として体育,勝負,修心を挙げて、「此學科ヲ全國ノ教育ノ科目ノ中ニ入レマシタナラバ目下教育上ノ缺点ヲ補フコトノ出来ル」と述べ,全国の教育機関,とりわけ中学校への採用と国民への普及を主張していく。
こうした嘉納の活動や剣道界の尽力により,1911 (明治44) 年に撃剣・柔術が正課採用を果し,柔道は日本の中学校における正科になる。その後,嘉納は柔道の目的として慰心法を含めて発表し,さらに新しい要素(運動の楽しさ,乱取,試合,そして形を見る楽しみ,芸術形式としての形による美育を含む)を柔道に付け加え柔道における幅広い目的を主張していく。
嘉納は当時国内において採用されていた西洋式の普通体操に面白みが無く学校卒業後に長く続けられないことに関する当時の教育家からの不満と、柔道の様々な利益,逆に競技運動は面白く長く続けられるという社会的背景から慰心法の新しい発想を生み出した。
1913 (大正2) 年,嘉納は「柔道概説」に「柔道は柔の理を応用して対手を制御する術を練習し,又其理論を講究するものにして,身体を鍛錬することよりいふときは体育法となり,精神を修養することよりいふときは修心法となり,娯楽を享受することよりいふときは慰心法となり,攻撃防禦の方法を練習することよりいふときは勝負法となる」と記し,柔道は「柔の理を原理とし,身体鍛錬には体育法,精神修養には修心法,娯楽には「慰心法」,そして攻撃防御の習得には勝負法となる」と説いた。
「慰心法」の内容は「慰心法とは柔道を娯楽として修行する場合をいふ。眼の色を楽み耳の音を楽むが如く,筋肉も亦運動して快楽を感ずるものにして,人が他の人と筋肉を使用して勝負を決する如きは更に大なる快楽のこれに伴ふこと論を侯たざるなり,且自ら其の快楽を感ずるのみならず其勝負の仕方,業の巧拙等を味ひてこれを楽み得る素養ある人は,他人の勝負を見ても快樂を感ずるはまた當然のことなり。殊に名人の試合及起倒流扱心流の形,講道館五の形,柔の形の如きものに至りては,眞に勝負の形たる性質を離れ自ら美的情操を起さしむるものにして,其の見る者に快楽を感ぜしむるや大なり。かく單純なる筋肉の快楽より高尚なる美的情操に至るまで快楽を得るを目的として修行するは,これを慰心法として柔道を修行すといふ」と述べ、
などを例に挙げた。
また,修行に際しては「柔道はかく四様の着眼点より修行するを得るものなれど,實際に於てはこれを兼ね修むるを得策とす・・・(中略)・・・慰心法として修むるときも亦同様にして,実益の伴はざる娯楽は人事多端の世に於て多くこれを貧ることを得ざるものなれど,種々の實益を伴ふ柔道の娯楽は,これを享くること多きも益を得ることありて毫も其弊を見ず」と述べ,慰心法以外の目的を兼ねて練習を行うことで楽しみながらも体育や勝負,修心上の利益を得ることが出来ると主張した。
しかしその後、嘉納の言説の中から「慰心法」の名称は見られなくなり、再び「体育法」「勝負法」「修心法」を中心としたものになっていく。それでも1915年3月の「立功の基礎と柔道の修行」の中に見られるように体育法としては①運動の種類が多く老若男女に適する②多目的で興味が尽きない③実生活に役立つといった3つの利点を挙げた。
嘉納は②について「柔道は他の運動に比して最も多くの目的を有し,従って先から先へと尽きぬ興味がある。一体育そのものより外に目的のない運動やその目的の明かでない運動は,興味を感じないものである。興味のない運動は,人に持績して行はせることも出来ず,熱心に練習させることも出来ず,体育の方法として価値の少ないものである。然るに柔道は身体を強健にする外に,己を護り人に勝つことを目的とし,五體を自由自在に動作させることを目的とし,精神の摩礪を目的として居る為に,競争の興味,業の熟練の興味,人格向上の興味,美的感情の養成,その他言ひ蓋せぬ程多様の興味を喚起し知らず識らずの間に体育上の功果を収めることが出来る」と述べ,競技の楽しさを魅力の1つに挙げている。このように「慰心法」の名称は消失するが,その内容は柔道奨励の一手段として位置づけられていく。
しかし明治後期から対校試合の隆盛と共に試合に対する学生の関心は高まる一方で、学生間の紛擾や学校間の対立などが生じることになる。やがて大正後期になると高等専門学校柔道大会が活況を呈し,学生が母校の名誉のために過熱し,様々な弊害が現れてくることになる。それらに対し,嘉納は慰心法に代わり、状況の改善策を講じ,柔道を本来のあり方へ戻そうと腐心していくことになる。
時代は下り第二次大戦後には軍事的色彩が強しとして一時禁止されていた柔道であったが,1949 (昭和24) 年には全日本柔道連盟が結成され,翌年(1950) には学校柔道も解禁される。
講道館の三代目館長となった嘉納履正は著書『伸び行く柔道一戦後八年の歩み一』において「スポーツとしての柔道」と題し「快適なスポーツとして柔道の練習方法を考へる場合,必ずしも鍛錬主義が全面的によいとは言へず, 教育的な見地からその対照によっては再考すべき点もあるであらう。講道館柔道を一部では,旧弊な非スポーツ的なものであるといふ様な誤解もあるが,遠く明治四十三年に嘉納治五郎の書いた柔道の説明の内に, 柔道は・・・(中略) ・・- 娯楽を享受する事より云ふ時は慰心法となり・・・(中略)・・・とある様に娯楽としての柔道の面も唱ってゐるので,決して講道館柔道は単なる武道的な厳しい面を強調するものでなく,心を慰むるものとして,則ちスポーツの字義通りの内容をも具備するものである」と述べ,これまでの柔道は勝負や精神面が強調され過ぎたが,娯楽の意義も今後大切であると説いている。柔道「慰心法」の存在と意義を再認識する時ともいえる。[75]
講道館柔道では段級位制を採用している。これは、数字の大きい級位から始まり、上達につれて数字の小さな級位となり、初段の上はまた数字の大きな段位になってゆくものである。
段位制は囲碁、将棋において古くから行われていたが、それを武道界で最初に導入したのは、嘉納治五郎の講道館柔道である。その後大日本武徳会が、警視庁で導入されていた級位制を段位制と組み合わせて段級位制とし、柔道・剣道・弓道に導入した(なお、武徳会は戦後GHQにより解体されたため、1948年には武徳会で取得した段位を講道館の段位として認める特例が取られた[76])。
初段が黒帯というのは広く知られており、クロオビは英語圏でも通用する単語となっていて、米国では黒帯を英訳した『Black Belt』という雑誌も発行されている。元々、柔道の帯は洗濯しないのが基本であり、稽古の年月を重ねるうちに黒くなっていく事から、黒帯が強さの象徴となったのであり、茶帯が白から黒に至る中途に設定されているのはこの残存形式であるとも言われる。
柔道の創始者である嘉納治五郎は『柔道概要』の中で「初段より昇段して十段に至り、なお進ましむるに足る実力ある者は十一段十二段と進ましむること際限あるなし」と述べている通り上限は決められていない。ただし十段よりも上へ昇段した前例はなく、今日では十段が事実上の最高段位になっている[77]。そもそも段位は柔道の「強さ」のみで決まるものではないため、高段者になればなるほど、名誉段位という意味合いが強くなっている。実際に、昇段の為の条件(競技成績・修業年限・審判実績など)が明文化されているのは八段までで、九段の昇段については存命の九段所有者が審議して決める事になっており、十段については講道館長の裁量に任されるなど、基準が非常に曖昧になっている[77]。一方、現役選手では三~五段までが殆どで、これは全日本柔道選手権やオリンピック柔道競技、世界柔道選手権、春・秋の講道館紅白試合の技量抜群者に与えられる「特別昇段」の段位上限や、年齢・修行年限などの制限が課されているためである。実際にオリンピック2連覇で世界選手権を7度制した谷亮子も、現役時代の段位は四段であった。
なお、2012年現在での講道館十段所有者は、山下義韶、磯貝一、永岡秀一、三船久蔵、飯塚国三郎、佐村嘉一郎、田畑昇太郎、岡野好太郎、正力松太郎、中野正三、栗原民雄、小谷澄之、醍醐敏郎、安部一郎、大沢慶己(昇段年順)の15人のみで、柔道入門者12万人に1人と非常に狭き門となっている[77]。また国際柔道連盟での十段所有者は、アントン・ヘーシンク(オランダ)、チャールズ・パーマー(イギリス)、ジョージ・カー(イギリス)の3人となっている。他にもフランス柔道連盟のアンリ・クルティーヌ、オランダ柔道連盟のnl:Jaap Nauwelaerts de Agéが十段位を取得している。女子では十段は福田敬子(在アメリカ)ただ1人(2011年8月に昇段)である(講道館は九段)。
昇級・昇段のためには全国の各団体が講道館の認可を受けて行う昇級試験・昇段試験を受験する必要がある。級においては試験は受験者同士の試合形式で行われ、結果が優秀であった場合は飛び級も認められる。初段以上では、試験は試合・柔道形の演武・筆記試験の3点の総合成績で判定を行うのが基本であるが、実施母体により異なる場合もある。(注下記)初段の試験に合格した時点で正式に講道館への入門を認められ、会員証が発行されると共に黒帯の着用が認められる。
成年部(原則13歳以上)の場合の帯と段級位の関係は以下のようになっている(四級以下については、道場によって違いもある)。
※六段以上は黒帯でも構わない。
少年部(原則13歳未満)の場合の帯と級位の関係は以下のようになっている。
また女子部は国内ルールでは1/5幅の白線入りだが、国際ルールでは男女とも同じものを用いる。なお日本国内の大会では、国際ルールを用いる試合であっても、女子は講道館の段位であるとして白線入り帯を締める事になっている。
講道館柔道は形(かた)、乱取(らんどり)によって技術を修行するように示されている。しかし現代の競技大会における「柔道」とはほぼ乱取を意味するものであり、形については国民の認識も薄い。
このことから1990年代以降は「形」の競技化が進められ、次項にて説明する形競技も行われるようになった。
形の競技化、試合も始まっている。 日本国内では、1997年(平成7年)には講道館と全柔連が全日本柔道形競技大会を開催したことで、形の競技化が始まった。10回(10年)の国内選手権大会を経てからは、形の国際大会開催の機運が高まり、第1回講道館柔道「形」国際大会が2007年に講道館大道場で開催された。ここでは講道館講道館護身術、五の形、古式の形を除く、4種類の形が採用されたが、すべて日本チームが優勝した。ヨーロッパでは2005(平成17)年に欧州柔道連盟が第1回欧州柔道「形」選手権大会をロンドン郊外で開催した。さらに東南アジア地区のSEA (South East Asia) Gamesでは、2007年から投の形と柔の形が実施されている。 2008年11月には、国際柔道連盟がIJF形ワールドカップをパリで開催したが、投の形では優勝を逃している。 2009年10月には第1回世界形選手権大会がマルタで行われ、こちらは5種目とも日本勢が優勝した。第2回世界形選手権大会は2010年5月、ブダペストで行われ、日本チームは全5種類の形で優勝した。
講道館柔道の試合は、通常、年齢と体重によって制限されており、男女も別である。年齢には下記のように制限がある。
柔道は本来無差別で争われるべきという考えに基づいていたため、講道館柔道では無差別を除くと段別・年齢別がその区分の中心であった。しかし、東京オリンピック開催を機に、体重による区分を軽量級、中量級、重量級の3階級設けたのが最初である。講道館柔道では現在8つの階級に分かれているが、主催者や競技者の年齢によって異なることがある。国際大会では、シニア、ジュニア、カデなどで制限が異なる。
男子 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
60 kg 以下 | 60〜66 kg | 66〜73 kg | 73〜81 kg | 81〜90 kg | 90〜100 kg | 100 kg 超 | 無差別 |
女子 | |||||||
48 kg 以下 | 48〜52 kg | 52〜57 kg | 57〜63 kg | 63〜70 kg | 70〜78 kg | 78 kg 超 | 無差別 |
男子 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
66 kg 以下 | 66〜73 kg | 73〜81 kg | 81〜90 kg | 90 kg 超 | |||
女子 | |||||||
52 kg 以下 | 52〜57 kg | 57〜63 kg | 63〜70 kg | 70 kg 超 |
大会開催年の12月31日時点で年齢15歳以上21歳未満。
男子 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
55 kg 以下 | 55〜60 kg | 60〜66 kg | 66〜73 kg | 73〜81 kg | 81〜90 kg | 90〜100 kg | 100 kg 超 |
女子 | |||||||
44 kg 以下 | 44〜48 kg | 48〜52 kg | 52〜57 kg | 57〜63 kg | 63〜70 kg | 70〜78 kg | 78 kg 超 |
大会開催年の12月31日時点で年齢15歳以上18歳未満。
男子 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
50 kg 以下 | 50〜55 kg | 55〜60 kg | 60〜66 kg | 66〜73 kg | 73〜81 kg | 81〜90 kg | 90 kg 超 |
女子 | |||||||
40 kg 以下 | 40〜44 kg | 44〜48 kg | 48〜52 kg | 52〜57 kg | 57〜63 kg | 63〜70 kg | 70 kg 超 |
無差別は世界柔道選手権大会にはあるが、オリンピックの種目ではない。また日本で一番格式のある全日本柔道選手権大会は無差別で行われる。
また、オリンピックや世界柔道選手権大会では、敗者復活トーナメントも行われる。これは予選トーナメントで敗れた選手の中から、ベスト4の選手と直接対決した選手が出場できる。そして復活トーナメントを勝ち上がった選手と準決勝で負けた選手が銅メダルを争うことになる。このため銅メダルが必ず2つ出る。国際オリンピック委員会は他の競技との兼ね合いから1つにするように通達している[注釈 3]が、国際柔道連盟はこれを拒否している。
2012年のロンドンオリンピックからは敗者復活戦のシステムが変更になり、準々決勝の敗者のみが出場でき、敗者復活戦の勝者と準決勝で負けた選手で銅メダルを争うことになった。
一方で国内の大会である、全日本柔道選手権大会や全日本選抜柔道体重別選手権大会では行われていない。
日本において、現在の試合ルールは講道館柔道試合審判規定(以降、講)と国際柔道連盟試合審判規定(以降、国)がある。現在は国内でもほとんどの試合が国際規定で行われているが、試合のレベルなどにより、国内独自の方法や判定基準が採用されている。
試合場内は、9.1 m × 9.1 m(5間)(講1条)、もしくは8 m × 8 mから10 m × 10 m四方(国1条)の畳の上(「試合場」は、講: 14.55 m(8間)、国: 14ないし16 m四方の場外を含めた場所をいう。)。試合は、試合場内で行われ、場外でかけた技は無効となる。場外に出たとは、立ち姿勢で片足でも、捨身では半身以上、寝技では両者の体全部が出た時をいう。ただし、技が継続している場合はこれにあたらない(講5条、国9条)。
講道館規定67種類、国際規定66種類の「投技」と29種類(講道館、国際共)の「固技」を使って、相手を制する事を競う。当て身技は使えない。
審判員は主審1名、副審2名の3名が原則であるが、主審1、副審1、もしくは審判員1でも可能である(講17条、国5条は主審1、副審2の構成しか認めていない)。2014年から試合場の審判は1人となる。副審2名は審判委員席でビデオを確認しながらサポート役に徹する。ジュリー(審判委員)は試合場の審判と無線でコミュニケーションを取り合うことになるが、必要とみなされた場合を除き技の評価などへの介入は控える[78]。審判に抗議する事はできない(講16条)。
試合は立ち姿勢から始まる(講10条)。一本勝負であり(講9条)、「一本」の場合残り時間にかかわらずその時点で試合は終了する。2度の「技あり」、「技あり」と相手の反則「警告」(講)(3度の「指導」(国))を合わせた「総合勝ち」の場合も「一本」と同等に扱う。「技あり」2回の総合勝ちによる一本の場合は通常「合わせて一本」と主審がコールする。
試合時間内に両者とも「一本」に至らない場合には、それまでの技の優劣の差で「優勢勝ち」を決する。この優劣の差には「指導」による得点も加味される。規定時間終了時に両者の技に優劣の差がない場合には、ゴールデンスコア方式として、試合を延長し一方が有効な技を決めるか相手に宣告された反則(指導2回以上)による得点が入った時点で試合終了となる(ただし講、国ともに、ゴールデンスコア方式で行うとは明記されていない)。それでもなお時間切れになった場合は主審および副審の「判定」により「優勢勝ち」が告げられる。大会の規定によっては引き分けとする場合もある。
3分から20分の間で予め定められる(講12)。国体は成年男女、少年男女ともに4分。全日本選手権は6分。国際規定では、マスターズ3分(60歳以上は2分30秒)、シニアの場合、男女とも4分、ジュニアとカデも4分と決められている。「待て」から「始め」、「そのまま」から「よし」までの時間はこれに含まれない(講12条、国11条)。また、試合終了の合図と共にかけられた技は有効とし、「抑え込み」の宣告があれば、それが終了するまで時間を延長する(講14条、国14条)。規定時間終了時に両者の技に優劣の差がない場合にはゴールデンスコアとなり、どちらかが技か指導でポイントを挙げるまで試合は続行される(旗判定の廃止)[78]。
有効な技は、「一本」、「技あり」の2つの判定で評価される。以前の国際規定では判定の種類に「効果」と「有効」があったが、ルール改定により2009年1月1日から「効果」、2017年1月1日からは「有効」が正式に廃止された。講道館規定ではもともと「効果」の判定はなかった。判定の優劣は「一本」に準ずる技の判定が「技あり」、「技あり」に準ずる技の判定が「有効」だった。また、「技あり」2つで「一本」となるが、「有効」は何回とっても上位の「技あり」に及ばなかった。しかし、2017年からは「技あり」が有効をも含む判定となったために、何度技ありを取っても一本にはならない(合わせ技一本の廃止)[79][80]。
固技の勝ち方には次の3つがある(講37条、38条、39条)。(注:固技は抑込技、絞技、関節技の総称である)
1つ目は、抑込技で、国際審判規定では相手の背、両肩または片方の肩を畳につくように制し、相手の脚によって自分の身体、脚が挟まれていない場合で、20秒経過すると「一本」になる(講道館規定では30秒)。但し、先に(投げ技、固め技の)「技あり」ポイントを持っていれば、10秒経過すると「技あり」となり、「総合勝ち」となって、いわゆる「合わせて一本」になった(講道館規定では25秒)。同様に一定時間の抑込で以下のように技が判定される[78][79][80]。
2つ目は、固め技で、相手が「参った」と発声するか、その合図(相手の体もしくは畳を審判に分かるように2〜3回叩く)をすれば「一本」勝ちになる。
3つ目は、絞技と関節技で、技の効果が十分に現れた時である。
禁止事項に抵触する行為に対しては、審判から「指導」が与えられる。重大な違反行為に対しては「反則負け」が宣告される場合もある。「指導」に対しては違反行為の重さ(講)に応じて、相手側に得点が与えられる。ただし、2014年からの国際ルールでは、指導は3回目までポイントにならず、技のポイント以外はスコアボードに表示されないことになった(これにより、技ありと指導3を合わせた総合勝ちは成立しなくなった)。4回目の指導が与えられた場合は反則負けとなる。試合終了時に技のスコアが同等の場合は、指導の少ない方の選手を勝ちとする[78]。 以下の規定は講道館ルール。
得点表示の例(青(赤)が一本、白が技あり1回、有効1回の場合)
青 (B) /赤 (R) | 1 | 0 | 0 |
I | W | Y | |
---|---|---|---|
白 (W) | 1 | 1 |
試合場やテレビ中継での得点表示は、有効な技の回数が、左から、一本 (I)、技あり (W)、有効 (Y) の順に表示される。上下に列記される場合もある。
上記の例の場合、一見100点満点のようにも見えるが、希な例として有効の回数が2桁になる場合がありうるので、これを「100点」「11点」とは読まない。このような読み方は、北京五輪頃のテレビ中継(民放)で盛んに推奨されていたが、誤りである。
柔道の公式試合は国内、IJFともに認定を受けた審判員が試合を司ることになっている。審判員は公認審判員規定によって資格が管理されている。国内の審判員はS、A、B、Cに分けられ、各審判員は研修会に参加して資格を維持している。国際はインターナショナル、コンチネンタルの2種類がある。
外部リンク
七帝柔道(高専柔道)は立ち技重視の講道館柔道に反発して大正時代に誕生した柔道である。
七帝柔道(高専柔道)では寝技を重視したスタイルを採用しており、膠着時の「待て」や「場外」の要素や「有効」・「技あり」などのポイント制度を極力排除しているのが特徴である。試合においても団体戦による勝ち抜き戦を基本としており、試合時間も講道館柔道(国際柔道)のそれに比べて長い。選手は旧帝国大学およびその系列の者が多く、対抗戦のほかにブラジリアン柔術・総合格闘技などのバックボーンとして格闘技分野で主に活躍している。
柔道から派生した武道として、前田光世から受け継がれたブラジリアン柔術の各派や日本拳法、サンボ、富木流合気道(合気乱取り)などがある。
日本拳法は、柔道家の澤山宗海が柔道では廃れてゆく当身技の練習体系を確立する為に創始した。
サンボは講道館で柔道を学んだロシア人ワシリー・オシェプコフによりロシアに伝えられソ連時代にその弟子により国技として普及する。
富木流合気乱取りは柔道の当身技と立ち関節技(離隔態勢の柔道)の乱取り化を進めようとしていた嘉納治五郎により、合気道の植芝盛平のもとへ派遣されていた富木謙治によりまとめられ、別名柔道第二乱取り法とも呼ばれる。早稲田大学教育学部教授であった富木は早稲田大学柔道部合気班の中で柔道の第二乱取り法として指導をしていた。
他には柔道出身の極真空手家・東孝が興した空道も投げや寝技の中に柔道の影響が強く見られる。
講道館で嘉納治五郎による古武道研究会で師事を受けた望月稔の養正館武道にも嘉納の思想、柔道理論、影響は受け継がれている。
欧州で競技の行われているヨーロピアン柔術にも柔道の影響が伝統空手の技術と共に強く見受けられる。
琉球(沖縄)で発祥した唐手(空手、空手道)は講道館創始者嘉納治五郎の紹介によって本土に上陸し、1933年、大日本武徳会沖縄県支部より日本の武道、柔術の流派として承認され、 1934年に大日本武徳会において柔道部門の中に組み入れられる。当時の唐手は自由乱取りに相当する組手は存在せず型のみが行われていたが、柔道の乱取りや剣道の竹刀稽古を参考に本土上陸後に組手が研究され整備されていく。また講道館柔道が整備した今日のような道着や色帯制度、段位性を唐手改め空手は武徳会時代・柔道傘下時に採用する。第二次世界大戦での日本の敗戦後、柔道や剣道はGHQによる武道禁止令の影響を大きく受け、柔道はその三大部門の一つであった当身技が制限・軽視されることになる。当時国内での影響力も少なく制限を受けることの少なかった空手は戦後の柔道の当身技の軽視の間隙を突いて進出することになる[64]。
日本に本格的な筋力トレーニングが伝えられたのは、1900年頃であり、柔道の創始者である嘉納治五郎の功績が大きかったと言われている。嘉納は「柔道の創始者」のみならず、「日本近代筋力トレーニングの父」とも呼ばれている。[91]
嘉納は、世界に柔道の普及活動を行う中で渡欧中、ヨーロッパにて近代トレーニングの父と呼ばれるユージン・サンドウが著した筋力トレーニングの書籍『Sandow's System of Physical Training』(1894)に出会い共鳴している。その効用を実感した嘉納は講道館の雑誌「國士」にて連載し紹介した。当時この連載は好評となり、1900年には嘉納は『サンダウ体力養成法』を造士会から出版するに至っている。嘉納は柔道界のみならず国民へもその体力養成法を推奨し、サンドウが体操に用いた手具(鉄亜鈴)などの販売、宣伝も行った。
また1933年(昭和8年)、IOC委員としてウィーン会議に出席していた嘉納はその帰途、オーストリアから正式なバーベル一式を購入、輸入した。このバーベルは、当時、東京・代々木にあった文部省体育研究所に運ばれ、ウエイトリフティングの技術研究と練習が行われ、普及のための講習会も開かれた。
嘉納の活動・翻訳本は日本のボディビル界の祖、若木竹丸などにも影響を与え、若木がウエイトトレーニングに目覚めたきっかけにもなっている。 柔道家木村政彦などもその先見性から若木からウェイトトレーニングの指導を受けている。
このように嘉納は筋力トレーニングの有効性を理解し紹介していたが、柔道界において暫くはあまり広く普及せずあまり重視されてこなかった。
その理由として、「柔道の稽古自体が筋力トレーニングになっている」こと、「柔道で使う力と筋トレで養われる力は違う」という意見、「柔能く剛を制すが正しい柔道である」という考え方が影響していたと言われている。また、当時は体力に勝る外国人にも日本人の持っている技術が十分通用したということも挙げられる。
しかし嘉納の目指した柔道の精神「精力善用」は「柔の理」「柔能制剛」を発展させたものであり、剛も内包するバランスの取れた一種の柔剛一体であると言えるものであった。
また、やがて柔道が世界中に広がり、外国人が技を身に付けるようになってくると、色々な戦略を取れるようになり、日本人は国際大会で苦戦するようになってくる。「技は力の中にあり」というように基本の技が身に付いた上級者同士の戦いになると、今度は力が勝敗を分ける一因となり技を活かすために力が必要になってくる。
日本柔道界への筋力トレーニングの本格的な導入は、1988年ソウルオリンピックの惨敗を受けて、大会終了後に強化委員会が開かれ、敗因について徹底的に議論が行われた際、外国人選手と比較し基礎体力が劣っているという敗因の分析の結果、東海大学教授の有賀誠司をストレングスコーチとして招聘したことから始まる[91]。また2012年ロンドンオリンピックの惨敗をきっかけに発足した井上康生監督の全日本柔道の体制では、より精度の高い科学的見地に基づいたフィジカルトレーニングを導入するに至っている。
そこでは、体力面で負けないトレーニングを導入するとして、トレーニング目標として次のような方針を掲げた。
柔道の国際化が進む中、外国選手を中心とした技術の変化も見られるようになった。これは、海外の柔道競技者の多くは柔道と同時に各国の格闘技や民族武術に取り組み、その技術を柔道に取り込んだり、試行錯誤の上新たな技術を考案するなど、日々技術を変化(進化)させているからである。技術が柔道に取り込まれている民族武術・格闘技としてはキャッチ・アズ・キャッチ・キャン、ブフ、サンボ、ブラジリアン柔術などがある[注釈 4]。技術の変化に対して、世界的に見た海外における柔道は、武道としての「柔道」ではなく、競技としての「JUDO」となりつつあるという指摘があり、柔道本来の精神が忘れられていくのではないかと、柔道の変質を危惧する意見もある。一方で、柔道は発足当初から日本国内の柔術のみならず海外の格闘技を工夫して取り入れて形成されたものであり、国際柔道のような各格闘技を総合したスタイルこそ柔道本来の形と精神に近いと考えている意見もある。 「明治時代に嘉納治五郎が日本の柔術諸派から技を抜粋して柔道を作ったとき、柔道は一種の総合格闘技になったのです。さらに今回は、国際的にも柔道が総合格闘技化しているのです。チタオバやサンボ、BJJまでが総合化されているのですね。柔道でメダルを獲得した国が23カ国ということを見ても国際化はかなり進んでいる。」[93]
2012年ロンドンオリンピックでの柔道の競技における日本人選手の苦戦を受けて、就任発足した井上康生監督体制では、「国際化したJUDOは世界の格闘技の複合体になった。柔道の枠の中に収まっていては、新たな発想は生まれない」とし、色々な格闘技が流入した世界の柔道に勝つためにブラジリアン柔術、サンボ、モンゴル相撲、沖縄角力などの民族格闘技との積極的な交流、練習の取り入れを行い、強化を図った。また、組手を取り合う際の対策、強化として柔道の当身の練習に通じる、打撃のミット打ちの練習なども取り入れるなど改革・創意工夫を進めた。[94]
また、計画的体系的な筋力トレーニング、栄養、データ分析の強化など指導に医科学も取り入れた強化を進めた。[95] 2016年リオデジャネイロ五輪の柔道で日本は1大会で最多となる男女計12個のメダルを獲得した。
柔道は当初柔術の稽古着を着て稽古していたが、袖と裾の長い現在の柔道衣を作成し稽古するようになった。1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、船越義珍に依頼して、講道館で空手(唐手)の演武、指導をした時に義珍が着用していたのが柔道衣である。その後、唐手と柔道は、動作も稽古内容も柔道とは違う為、柔道衣に徐々に改良がなされ、空手道に今のような空手道衣が誕生した。このように一般には別々と思われている柔道と空手道ではあるが、道衣において共通点が存在しているのは、そのためである(詳細は空手道#空手道衣)。
柔道衣の色は基本的に白のみとされている。しかし、試合で両選手とも白の柔道衣では観客にとって見分けがつきにくいという問題があったため、1997年に国際柔道連盟はカラー柔道衣の導入を決定し、それ以来国際大会では青の柔道衣が使われるようになり、日本で開催する時も国際試合に限り青の柔道着を着用を認めている。これに対し、日本はカラー柔道衣の導入に反対しているため、国内大会では白の柔道衣のみが使われている。
カラー柔道着の導入を巡る検討段階では、青以外にも赤・緑・黄などの様々な色・ナショナルカラーの柔道着の着用を自由に認めるようヨーロッパの柔道連盟など賛成の立場の国は強硬に迫った。最終的には見分けが付けばいいと言う事と、日本などの反対する立場の国々への配慮から、青のみの導入にとどまった。
明治末期から昭和30年代頃まで、時代のあだ花のように存在した「柔拳」という異種格闘競技があった。柔拳は柔道vs拳闘(ボクシング)を意味し、柔道家は道衣を着用した柔道スタイルで、ボクサーはグローブを着用したボクサー・スタイルで闘った。1853年のペリー来航以降、日本にボクシングが紹介されると、ボクシング技術を使う外国人水兵と日本人力士や武術家との他流試合がなされるようになった。それらの他流試合が明治後期から第二次世界大戦後にかけて流行した外国人ボクサー(そのほとんどが力自慢の水兵)と柔道家による他流試合興行「柔拳試合」を生み、また、ボクシング技術を学ぶ者を増やすことになる。
初めて「柔拳」の名称を使用したのは柔道の創始者嘉納治五郎の甥にあたる嘉納健治とされる。若くして講道館を飛び出した健治は横浜で、柔拳試合を見たのをきっかけに神戸の自宅に日本初のボクシングジム国際柔拳倶楽部(後に大日本拳闘会と改名)を設立した。健治が行った柔拳興行は大成功を治め、関西圏はもとより東京でも満員の観客を集めるほどの大きな人気を呼んだ。 その後1931年(昭和7年)には、全日本プロフェッショナル拳闘協会(現在の日本プロボクシング協会)結成に参加。日本のボクシング界を発展させる礎を作った。
その後、戦後消滅したも同然であった柔拳が復活したのは、第2次大戦後のことであり、東京の万年東一が中村守恵、木島幸一らを使って旗揚げした「日本柔術連盟」がそれである。万年東一は柔拳興行の後、全日本女子プロレスを設立し活動内容を変えていくことになる。
嘉納健治の行った柔拳興行では、その活動時期から、前中後の3期に活動内容が分けられる。前期柔拳において健治はボクサーとの対戦を通じて、柔道を当身や武器にも対処しうる武術として蘇らせようとしていたとされる。健治は拳闘以外の武道・格闘技との対戦も企画し、柔道改造を推し進めていった。
それは叔父の嘉納治五郎と共通する思想からとされる。嘉納治五郎は、柔道において、心身の力を最も有効に使用して世を補益する「上段の柔道」を最終目的とし、体育と修心を目指す「中段の柔道」、攻撃防御の方法としての「下段の柔道」の3段階の構造を描いた上で、「下段の柔道」から柔道を始めるのが最も良いとした。嘉納は「攻防の技術」としてあらゆる攻撃に対応できる護身術・総合格闘技でなければならないと考えていた。そして嘉納はボクシング、唐手、合気柔術、棒術などの他の武道・格闘技の研究を通じて、その晩年に至るまで彼の理想とする「柔道」の完成を追求している。嘉納健治は「柔拳興行」という公開試合の場で、他武道・格闘技との異種格闘技という実践を通じて「攻防の技術」として柔道を追求していたのであり、その点で嘉納健治は叔父と同じ問題意識を共有していたとされる。
しかし1921年に行われた米国レスラー、アド・サンテルと児島光太郎の門下生が行った柔道対レスリングの公開試合「アド・サンテル事件」により、それまで興行的異種格闘試合を黙認していた立場だった嘉納治五郎は公職の立場にある身から、「木戸銭」を取って行う「興行」活動への参加を禁止する方針転換がなされることになる。
「金を取って柔道の業を見せたり、勝負をして見せるのは、軽業師が木戸銭を取って芸を見せるのと何も択ぶ所はない。我も彼もさういふやうなことをするやうになつたならば、柔道の精神は全く消滅して仕舞ふことになるから、一般の修行者は、大に慎んで貰はねばならぬ。」
そして柔拳興行はスペクテーター・スポーツへの方向転換を余儀なくされ、次第にナショナリスティックなショーへと変貌しやがて終焉していくことになる。[96]
昭和11年に発行された講道館六段・竹田浅次郎の技術書『對拳式実戦的柔道試合法』において、柔道家の対拳闘相手の対戦法が解説・紹介されている。
心構え、構え方、目の付け所や呼吸の仕方、両手の働き、足の動作、身体の動作、拳闘の分析、ボクシングのパンチの防御法、その捌き方と攻撃法、異種との戦いにおいて柔道家が注意すべき裸体の相手への組み付き方、腕・手首・首・体といった箇所への組み付き方、投げ技・絞め技・関節技の応用、足関節技、種々の双手刈りの方法、現在でいう「片足・両足タックル」が有効であることなどが解説されている。 [97]
昭和16年に発行された講道館七段・星崎治名の技術書『新柔道』には、「拳闘に對する柔道家の心得」と題して、彼が提唱した当時の柔拳興行におけるボクサーとの対戦法が紹介されている[98]。
1951年、国際柔道協会(プロ柔道)の木村政彦七段、山口利夫六段、加藤幸夫五段の日本柔道使節がブラジルに招かれた。この時、グレイシー柔術と異種格闘技戦を行っている。
9月6日に加藤幸夫がリオデジャネイロでエリオ・グレイシーと対戦。試合は10分3ラウンド、投げによる一本勝ちはなし、ポイント制無しの柔術デスマッチルールで行われ引き分けに終わる。9月23日に二人は再戦したが、8分目で加藤が下からの十字絞めで絞め落とされエリオの一本勝ちに終わった。すでにこの頃からブラジリアン柔術の寝技技術はかなり高いレベルにあったものと思われる。
雪辱戦として10月23日に木村政彦がエリオ・グレイシーと対戦。だが、さすがのエリオも木村相手では子供扱いされた。木村が2R開始3分目で得意の腕緘に取りエリオは意識がなくなっていたため、兄のカルロスがストップを申し出し木村が勝利、日本柔道の名誉を守った。木村政彦は「鬼の木村」の異名を持ち、戦前から全日本選手権を13年連続保持、15年間無敗のまま引退した柔道家で、史上最強と言われる。木村は切れ味鋭い大外刈りで有名だが、寝技でも日本トップの力を持っていた。
この木村政彦とエリオ・グレイシー戦までの経緯、試合内容については「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が詳しく記述している。それによると、試合後は互いに2人が相手の強さと精神を称え合うものだったという。エリオは木村の強さに感動し、腕緘にキムラロックという名前をつけた。
講道館柔道の創設者の嘉納治五郎は、教育者としても第一人者であり、学習院教授・教頭、旧制熊本第五高等学校(現・熊本大学)校長、第一高等学校(現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部)校長、東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)校長、文部省などの学校教育に関わる傍ら、日本傅講道館柔道を創始し活動を広げていった。その一方で親類や知人の子弟を預かり、嘉納が彼らと共に生活をしながら指導教育を行う私塾活動を行った。
1882年創立の嘉納塾以降、1888年善用塾、成蹊塾、1900年全一塾と対象年齢毎の私塾を展開していく。そこでは知育、徳育、体育のどれにも偏らない教育を塾の方針とし、そこから杉村陽太郎、高島平三郎、南郷次郎、嘉納徳三郎など様々な各方面に活躍する多くの卒業生が巣立っている。
また1898年に嘉納は嘉納塾以外の私塾を統合して造士会を創立し、1915年に柔道会、1922年に講道館文化会の創立をし、教育薫陶、世の中に有益な人物の輩出を目的として対象を広げていく。
1898年の「造士会創立の趣旨」において造士会の事業として、①塾舎を設けて子弟を教育薫陶する、②講道館柔道やその他の武芸体操を教授する、③雑誌を刊行して本会の趣旨の貫徹を図る、とある。
1915年の「柔道会創設の趣旨」において、「講道館と連携し、柔道会を設け柔道のみならず人間形成に役立てる」とし、具体的には「柔道の本義や修行の方法をさずけるだけでなく、役に立つ人間乃ち有数健全なる国民の育成を目指す」「雑誌・図書の刊行、講演会・講習会の開催、柔道の奨励・指導を行う」としている。
1922年の「講道館文化会」の目的としては、
①個人に対しては身体強健、知徳の練磨、社会において有力なることとする。
②国家に就いては、国体を尊び歴史を重んじ、その隆昌を図ろうとするため常に必要な改善を怠らない。
③社会にあっては個人団体ともお互いに助け合い譲り合い、融和を実現する。
④社会においては人種的偏見をせず、文化の向上、人類の共栄を図る。
とした。
そして、雑誌の発刊として、私塾教育においては嘉納塾の機関紙『嘉納塾同窓会雑誌』を発刊し、造士会においては『國士』、柔道会においては『柔道』・『有効之活動』、講道館文化会においては『大勢』・『柔道界』・『柔道』・『作興』とその時期その時期で対象読者を上げてテーマを広げ、目的ごとに使い分け、改題しながらも活動を続けていく。
雑誌刊行の目的として嘉納は「講道館柔道の修行者として、さらに多方面にも修養の資料となるべき雑誌を発行したならば、これによりて継続的に、秩序的に、柔道に関する自分の考えを示すことができる。さらにこの仕事に加えて、適当なる機会を利用して、講道館において話をしたならば、やや教育が行き渡るであろう」と述べている。
雑誌の講述において嘉納の扱うテーマは多岐にわたり、その内容は、
①技や技術、また試合をも含める修行の仕方について理想を説くもの。
②日常生活を通じての修養や訓育に関するもの。
③国家や社会の問題を指摘し、見解と訓育を述べるもの。
に大別することが出来る。
講道館柔道は、戦国時代から江戸時代にかけて興り隆盛を極めた古流柔術を母体とするものであり、講道館柔道の「柔」の名称も、柔術から採ったものである。柔術の名称由来については明確な詳細は定かではないとされるが、通説では「三略」の文中、「柔能制剛」の「柔」を意味するといわれている。柔術から発展した柔道の術技も多くは柔の理と言えるとされる。
講道館の草創時代、勝負の理論は古来の教えを受け継いだ傾向が強く、柔の理に総括されていた。 嘉納治五郎は「柔の理とは全て相手の力に順応してその力を利用し勝ちを制する理合である」とし、「柔の理は全ての柔道の勝負に通じ働いている大切な原理である」とも説いている。
柔道の基になった起倒流や関口流や楊心流など古流柔術の主要な流派の伝書類において散見される「柔」という語には「柔・剛などの相対する気が和合し、どちらにも偏りのない、安定、円満な状態」を意味しているという点において、実際に『三略』やそれに影響を与えたとされる『老子』の「柔の思想」との共通性を認めることが出来るとされる[99]。
中国古典に於いて、柔と剛を初めて唱えたのは『易経』であるとされる。「天は尊く地は卑くして乾坤定まる。動静常有り、剛柔断る。是故剛柔相摩し、八卦うごかす」と記され、自然界は陰と陽、柔と剛の対立と転化により成り立つと述べられている。よって柔は剛を兼ねて初めて柔徳を発揮するという、柔剛兼備の「柔」であった[100]。
『三略』に影響を与えたと言われる『老子』において「柔の思想」は、 「天下の至柔は、天下の至堅を馳騁し、無有は無間に入る」
「小を見るを明と曰い、柔を守るを強と曰う」
「人の生くるや柔弱、其の死するや堅強。万物草木の生くるや柔脆、其の死するや枯槁。故に、堅強なる者は死の徒。柔弱なる者は生の徒。是を以て、兵強からば則ち勝たず、木強からば則ち共さる。強大は下に処り、柔強は上に処る。」
「天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強をせ攻むる者、之に能く勝る莫きは、其の以て之を易うる無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざるを莫くして、能く行う莫し。」
などに見られるように、老子はたびたび水をひきあいに出し水の「流動性、順応性、変幻自在な動き」が、堅強を崩せる要素であると指摘している[100]。
また「「道」は万物を生み出すのみならず、すべてを受け入れる。「道」の形容詞が「柔」(或いは弱)とすれば、「剛、強、堅」などの形を成すものは全て「柔」から生まれて「柔」に帰ることになる。「柔」は全ての物を包含するのである」[101] と解釈もされる。
中国の兵法書である『三略』においては、「柔能く剛を制し、弱能く強を制す。柔は徳なり剛は賊なり、弱は人の助くるところ、強は怨の攻むるところ。柔も設くるところあり、剛も施すところあり。弱も用うるところ有り、強も加うるところ有り。此の四者を兼ね、而して其の宜しきを制す。」と記され、「柔」は他者を包み育む徳により剛を制せるとしながらも、兵法論としては柔弱のみではなく、柔剛強弱を兼備して変幻自在に対処せよと述べている。
中国古典に於ける「柔」とは、もともと自然界の法則に基づく、剛を含んだ絶対の「柔」であった。一方老子や三略の「柔能制剛」所の「柔」は、水の性質である。「流動性、順応性、変幻自在な動き」をいったものであり、また争わざる徳も意味していた[100]。
古流柔術の伝書においては、柔の理はしばしば歌などに託されたりして抽象的に表現されている。 例えば楊心流では「降るを見れば積もらぬさきに打ち払え、風ある松に雪折れはなし」「乗り得ては波に揺らるる蜑小舟、ただ浦々の風にまかせて」といい、起倒流では「我が力をすて敵の力をもって勝つ」と説き、天神真楊流では「身体をして心の欲するところに従順ならしむ」と説いている[102]。
正徳年間(1711-1715年)に記された日夏繁高による『本朝武芸小伝』においては「柔にして敵と争わず。しばしば勝たむ事を求めず。虚静を要とし、物をとがめず、物にふれ動かず、事あれば沈みて浮かばず、沈を感じると云ふ」とされている[100]。
また「敵の動きに先立つ気を読み、気のコントロールによって敵と力を合わせず、敵の気の外れの虚をついて制する」という様な、力の衝突のない滑らかな動き様を形容した言葉であり、さちに本体そのものが現す安定感や無形さを形容した言葉であると考えられた。従って「柔能制剛」とは、「気を扱う者が、力の勝負をする者に勝つ」という意味となるとされる[101]。
これらの古流柔術における「柔の理」は、嘉納の言う「柔の理とは、相手が力を用いて攻撃し来る場合我はこれに反抗せず、柔に対手の力に順応して動作し、これを利用して勝ちを制する理合」と合致するとされる[100]。
講道館の草創時代、勝負の理論は古来の教えを受け継いだ傾向が強く、柔の理に総括されていた。しかし柔の理をもって柔術や柔道の根本原理を考えていた嘉納も、攻撃防御の実際において、柔の理以外で説明しなくてはならない多くの事例にぶつかることになる。曰く、
「たとえば立って居る処を他人が後ろから抱きついたと仮定せよ。此の時厳格なる柔の理では逃れることは出来ぬ。対手の力に順応して動作する途はない。本当に抱きしめられる前ならば体を低く下げて外す仕方もあるけれども一旦抱きしめられた以上はその力に反抗して外すより別に仕方はない。」
「要するに反対すれば力が少ないから負けるが、順応して退けば向こうの体が崩れて力が減ずるから勝てる。柔能く剛を制すという理屈になる。ところが深く考えてみると、いつでも柔能制剛の理屈では説明は出来ない。(中略)勝負の時には相手を蹴るということがある。この場合は柔能く剛を制するとはいえない。これは積極的にある方向に力を働かせて向こうの急所を蹴って相手を殺すとか傷つけるとかいうことになる。ある手で突くのも同様である。刀で斬るのも同様である。棒で突くのも同様である。これも柔能く剛を制するということではない。こう考えてみると、柔術という名称は攻撃防御の方法のただある場合を名状した呼称である。」
つまり、「相手の力を利用して相手を制する」という「柔の理・柔能く剛を制す」だけでは全ての場面を説明できず、いわば状況に応じた臨機応変な「主体的・積極的な力の発揮」も必要であることから、加えて攻撃防御の際の精神上の働きから考えてみても、単に柔の理の応用だけでは困難であると感じた嘉納は明治30年代に至って柔の理のみに依らぬ柔道を解説するようになる。
「勝負においてはいかなる場合でも精神を込め最上の手段を尽くすべきである。いかなる技でもまず目標を立て投げる、固める、当てるという目的を遂げるためには己の精神力、身体の力を最も効果的に働かせる必要がある。心身の力、すなわち精力を最善に活用することである。今日精力善用と言っているがこれが柔道の技術原理である。」と言っている。嘉納はより普遍的な「力の用い方」を再定義した結果、「心身の力を最も有効に活用する」とした。
そして心身の力を精力の二文字に詰め、「精力最有効使用」「精力最善活用」などと表現されて、「精力善用」へと至る。
嘉納は柔道の意味を単に心身の力を有効に攻撃防御勝負に使うだけでなく、更に広く人間万事の事柄に応用、心身の力を最も有効に発揮する道のあるところにも柔道の名称を用いるようになる。精神と身体の力を合理的に活用させそれを日常生活に応用させることが精力善用としたのである。
またそれまでも明治22年の「教育上ノ価値」の講演において嘉納が示した「勝負の理論を世の百般の事に応用する」の中の「自他の関係を見るべし」に見られていたような柔の理における融和の原理から「自他共栄」の理論の確立に至る。
嘉納は1922年の「講道館文化会」の創立における「講道館文化会」綱領において「精力善用」「自他共栄」を発表する。
①精力の最善活用は自己完成の要決なり。
②自己完成は他の完成を助くることによって成就す。
③自他完成は人類共栄の基なり。
「精力善用」「自他共栄」の二大原理が、単なる攻撃防御の方法の原理ということから、人間のあらゆる行為の原理へと、大きく拡大したことによって、柔道の意味内容も大きく拡大することになる。
ここに至り、精力最善活用によって自己を完成し(個人の原理)、この個人の完成が直ちに他の完成を助け、自体一体となって共栄する自他共栄(社会の原理)によって人類の幸福を求めたのである。
講道館柔道創始者の嘉納治五郎は柔道の国民的・国際的普及を進めるとともに、大日本体育協会初代会長やアジア人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員などの役職を兼任し、他の体育や他の外来の競技運動についても国民的に奨励し推進していた。嘉納は、競技運動と柔道の関係について受ける質問について、両極端なものとして、「外来の競技運動を排斥し日本人の精神教育も道徳的修養も出来る日本固有の武術のみで事足りるという声」、逆に「競技運動の利益を説いて完全に競技運動化を推進する声」、のいずれも当を得た考えでないとし、次のように言及していた。
「柔道とは大きな普遍的な道である。それを応用する事柄の種類によっていろいろな部門に別れ、武術ともなり体育ともなり智育徳育ともなり、実生活の方法ともなるのである。しかるに、競技運動とは勝敗を争う一種の運動であるが、ただそういうことをする間に自然身体を鍛錬し、精神を修養する仕組みになっているものである。競技運動は、その方法さえ当を得ていれば、身体鍛錬の上に大なる効果のあるものであるというのは争う余地はない。さりながら、競技運動の目的は単純で狭いが、柔道の目的は複雑で広い。いわば競技運動は、柔道の目的とするところの一部を遂行せんとするに過ぎぬのである。柔道を競技的に取り扱うことはもちろん出来ることであり、また、して良いことであるが、ただそういうことをしただけでは柔道本来の目的は達し得らるるものではない。それゆえに、柔道を競技運動的にも取り扱うことは今日の時勢の要求に適ったものであるということを認めると同時に、柔道の本領はどこにあるかということを片時も忘れてはならぬのである。」[103]
一方で嘉納は普及や国民の理解を得る上での乱取試合や競技面の利点も挙げながら、戦前から活発になっていった試合とその上での勝利至上主義に向かう柔道修行者を強く憂いてもおり、身体鍛練で技を争うのは「下の柔道」で、精神修養を含むのが「中の柔道」、さらに身心の力を最も有効に使って世を補益するのが「上の柔道」と論じた。大正11年(1922)、「精力善用・自他共栄」を柔道原理として制定していた。
嘉納は「柔道は単に競技として見るよりは、さらに深く広いもの故、自ら求めてオリンピックの仲間に加わることを欲しない」と語っており、柔道が五輪競技となることには消極的であったと言われているが、クーベルタン男爵や国際オリンピック委員会の推薦を受け自身がIOC委員となりオリンピック・ムーブメントに参加するに際し、嘉納は柔道と戸外スポーツの両立の必要性について言及している。
「それまでには、体育のことなら柔道さえやっていればそれでよいと考えていたのだが、翻ってさらに深く思いをよせると、柔道だけではいけないことが分かってきた。柔道も剣道も体力を鍛え、武士道精神を修練させる秀れたものには違いないが、一般大衆の体育を振興させるにはこれだけでは満足できない。といって(当時の)体操は興味に乏しいのと、学校を出るとやるものがない。野球や庭球は面白いが設備が要るから誰でもやれない。少数のものには良いが、国民全般がやるには向かない。 だが歩行、駆け足、跳躍なんかはだれでも出来る。また費用も要らない。単に歩行することは面白くないかもしれぬが、神社仏閣に詣でるとか、名所旧跡を訪ねるようにすれば、道徳教育とも結びついてくる。大いに奨励すべきことだ。水泳もやらねばならぬ運動である。(中略)そしてすでに高等師範学校では生徒に長距離競走や水泳を奨励して実践させていた。
(中略)だから武道と戸外スポーツとは、どうしても両々相俟って発達していくようにしたいと思っていた。(中略)西洋で発達したオリンピック競技もこれを取り入れ、武士道精神を加味させることは出来ない相談ではないと考えた。」
そして他競技上でも日本人のオリンピック参加における大きな展望を掲げていた。
「日本精神をも吹き込んで、欧米のオリンピックを、世界のオリンピックにしたいと思った。それには自分一代で達成することが出来なかったら、次の時代に受け継いでもらう。長い間かかってでもよいから、オリンピック精神と武道精神とを渾然と一致させたいと希ったのである。 その最も手近い方法としては、我が国の選手が、心にしっかりとした大和魂、武士道精神を持っていて、競技場では世界選手の模範になることだ。」[104]
嘉納治五郎の没後、柔道は大きな変遷を経験することになる。
1938年(昭和13年)5月、嘉納治五郎はカイロでのオリンピック会議の帰途、病死するに至る。
日本政府はその年、7月15日、1940年に開催が決定していた1940年東京オリンピック返上を閣議決定する。
1939年(昭和14年)9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、1941年(昭和16年)12月には太平洋戦争が起こる。戦況が拡大するにつれ、1942年(昭和17年)には日本では大日本武徳会が政府主導に改組される。その中では、剣道、柔道、弓道が、銃剣道、射撃道と共に中心的武技として軍国主義思想に利用されていくことになる。新武徳会における剣道の傘下には種々の武器術武道・武術も、また柔道の中(傘下)には空手や捕縄術、古流柔術など種々の徒手格闘や対武器技術の武道・武術も総合して含むことも明文化される。
1945年(昭和20年)、日本は太平洋戦争における敗戦を経験し、1946年(昭和21年)11月には剣道、柔道、弓道などは軍国主義に加担したとしてGHQにより武道禁止令を受け、大日本武徳会は解散させられることになる。
その後国内での再開の努力や文部省による嘆願書の提出、海外の柔道連盟の発足などを受けて1950年、柔道は学校教育における再開を果たす。
しかし柔道は武道禁止令の解禁に際し、「競技スポーツとしての柔道」が外圧によって誓約されることになる。それはいわば便宜的なものとも捉えられるものでもあったため、日本の指導者の中にはいつか再び武道を精神教育の中心として復活させようという志を持つ者も多くいた。
しかし国際スポーツ化の流れの中で、1964年東京オリンピック開催に際し、生前の嘉納治五郎が消極的態度をとっていた柔道のオリンピック競技化への道を進むことになる。
それらの流れの上で柔道の変容については次のような指摘がある。
「体育」面では、
「競技の国際化に伴って、次第に競技に勝つための「身体(体力)強化」論が強まることになる。一方では「形」が実践されなくなることに示されるように、嘉納が強調した「身体の調和的発達や保健」という側面は弱化されていく。結果的に、競技力向上のための「強化」が柔道実践の中心となっていき、「体育」として嘉納が重視した大衆性や生涯に亘る継続性の側面は見失われていった。」
「勝負(武術)」面では、
「「競技スポーツとしての柔道」が浸透することによって「勝負は競技場の場における出来事」として限定されていき、戦前ではかなり強く意識されていた、武術としての追及は急速に弱化していった。 そのことはまた、武術性を保持する目的が加味されていた「形」の実践の低下とも結びついていった。「柔道はスポーツである」ことが世界共通の認識となっていき、ますます「武術としての柔道」論は顧みられなくなっていくことになった。」
「修心」面、特にその「徳育」面には、 昭和60年頃までは、「武道」や「修行」そして「礼儀」という観点から「徳育の低下」を食い止めようとする論調が盛んであった。それら徳育の低下への憂いは基本的に、たとえ「競技スポーツとしての柔道」を容認する者であっても、「他の競技スポーツと柔道は単純に同一ではない」という認識から発せられていた。特に戦前来の多くの指導者では、武道が有する「真剣味」こそが精神の高揚に役立つとする「武道としての柔道」論も根強く残存し、また「修行」という弛まぬ継続性が人間を向上させ、「礼儀」とは日常生活全般に浸透したものでなければならない、という価値観が継承されていた。
しかし、柔道による徳育の効果が、戦前では人間としての「生き方」や「生活」に結びつくものでなければならなかったのに対して、「競技スポーツとしての柔道」では競技という場に限定されてしまうことが問題視されたのであった。
また、武道独特の修行観や段位に対する価値観、あるいは礼儀作法という行動面においてもその低下が憂慮されてきた。
また「精力善用・自他共栄」は、
戦後も不断に唱えられ続けてきたが、昭和60年頃から以降はその唱えはかなり減少する。
概して、嘉納が唱えたようにそれらを「日常・社会生活へ応用する」といった側面は強調されなくなり、「精力善用・自他共栄」を「競技スポーツとしての柔道」にどのように活かしうるか、そこへの関心が集中することになる。
一部で、「競技スポーツとしての柔道では精力善用・自他共栄の理念を活かし難い」という批判が出されていったが、その論調は、「勝ちさえすれば目的を達するような傾向が横行しだした」というように、「勝利第一主義への批判」と結び付いたものであった。
それら変容を決定づけた最大の原因は、競技場で当然のごとく求められた「勝利志向」の強まりにみられる。 その理由は、勝利志向の「強まり」と、弱者への配慮(すなわち大衆性)や他者肯定(すなわち道徳性)の「低下」との間には避けがたい相関があり、また、「勝利志向の強まり」が、「競技」の時空のみへと視野を限定させ、柔道を生活や生き方に応用するという幅広い価値観も見失わせた。
ことに日本の柔道界では、国際舞台での勝利が、発祥国としての意地と誇りによって強く求められたがゆえに、「勝利」という価値が「競技化の促進」という価値と容易に結びつき、戦前では修行者の動機づけを高めるための手段的価値に位置づいていた「勝利」が、次第に目的的な価値へと転換していった。
嘉納は生前、教育的価値の体系を保持するために、幾度も「目の前の勝敗に囚われるな」と唱えたが、このような戦後における「勝利の目的化」によって、その体系は崩れていった。」 [105]
近年において講道館や全日本柔道連盟は、柔道修行者のマナー・モラルの乱れを受け止め、修心面での再生を目的として社会活動を行っている。
国内において講道館・全日本柔道連盟が、平成13年度から合同プロジェクト「柔道ルネッサンス」を立ち上げ、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎師範の理想とした人間教育を目指して活動を行っている。
「国際化、競技化、スポーツ化が進み競技成績や勝敗ばかりが注目されているが21世紀を迎えた今こそ嘉納治五郎師範が提唱した柔道の原点に立ち返り、人間教育を重視した事業を進めようとするものである。」[106]
「講道館・全日本柔道連盟は、競技としての柔道の発展に努力を傾けることはもちろん、ここに改めて師範の理想に思いを致し、ややもすると勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道の在り方を憂慮し、‘師範の理想とした人間教育’を目指して、合同プロジェクト「柔道ルネッサンス」を立ち上げる。その主目的は、組織的な人づくり・ボランティア活動の実施であり、本活動を通して、柔道のより総合的普及発展を図ろうとするものである。」[107]
2006年には特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティーが設立されている。理事長として山下泰裕が就任し、「柔道の国際的な普及に寄与するとともに、その活動を通して人と人との交流を図り、異文化理解を進め、もって日本のさらには世界の青少年育成に寄与すること」を目的とし、
「柔道・友情・平和」をスローガンとし、
事業内容として、
1. 柔道の国際的普及、振興に係わる事業。
2. 柔道による文化交流、異文化理解の推進に係わる事業。
3. 柔道による青少年育成に係わる事業。
を行っている。
「柔道教育ソリダリティー」は、理事長を務めた山下泰裕の日本オリンピック委員会(JOC)会長就任など多忙により2019年5月30日に幕を閉じた。
今後の活動は、2019年4月に井上康生が設立したNPO法人「JUDOs」が引き継いでいく。
全日本柔道連盟は2014年4月1日に「柔道MINDプロジェクト特別委員会」を発足させている。
「MIND」は英語で「精神」「心」を指すとし、嘉納治五郎の教えの精神、柔道の心に立ち返ろうという気持ちが込めた意図での命名となっている。 また同時に「MIND」は4つの単語の頭文字をつなげたものを意図している。
M はManners(マナーズ)、礼節
I はIndependence(インディペンデンス)、自立
N はNobility(ノビリティ)、高潔
D はDignity(ディグニティ)、品格
これら4つの単語を連ねたことには、柔道を行う者はこれら4つのことを守ってこそ「柔道家」と呼ばれるに相応しいのだということを明確に示そうという狙いがあるとしている。
全柔連では前年2013年に立ち上げた、「暴力の根絶プロジェクト」による「暴力という負(マイナス)の部分をなくそう」という趣旨に含め、「礼節や品格などの正(プラス)の部分」を伸ばそうという意味合いを込め、「暴力の根絶プロジェクト」を「柔道MINDプロジェクト」特別委員会と名前を改め、活動内容も積極的に広げている。
暴力、暴言、セクハラ、パワハラ、不適切な指導をしない事などは柔道をする者にとって当然の事とし、「柔道MIND」を心がけることで、その先を目指し新しい柔道界を築くことを意図したものになっている。[108]
まず、柔道の投技の基本は受の背中が大きく畳に着くように投げることだが、取は受を頭から落さないように投げ、多くの投技では受の体が畳に着く寸前に引き手を引いて受の体をわずかに引かなければならず、受は正しい受身(腕で畳を打って緩衝し、同時に顎を引いて固定し後頭部を打たないように護る)を身に付けなければならない。
しかし、取と受の双方若しくはいずれか一方が未熟な場合や極端な体格差であった場合に受が頭部を畳にぶつけることがある。例えば大外刈りは、受が後ろ倒しになるという技の性格上、初心者や過度に疲弊して正しく受身を取れない状態の者にかけると後頭部を強打する危険性が高い。また、頭からの落下による事故原因の他に加速損傷(回転加速度損傷)が原因と思われる可能性も示唆されており、これは頭部に外力(極端な遠心力、加速度)が加わることで頭蓋骨に回転加速度がつき頭蓋骨内の脳が全体的に回転(一方向への偏り)することで脳と硬膜を繋ぐ橋静脈が破断、急性硬膜下血腫に至るという機序である[109][110][111]。他に間(日にち)を置かず頭部への強打によって起こる脳震盪(セカンドインパクト症候群)が原因となり脳が物理的ダメージを負う事で、障害、死亡などのリスクが高まる報告がある。
2000年から2009年における中学生10万人当たりの平均死亡事例は柔道2.376人/年、2番目に高率なバスケットボールで0.371人/年であるとされ、学校における柔道の活動中の死亡事故発生率はバスケットボールや野球などのスポーツに比べて高いといえる。なお競技者人口からの死亡数の絶対値は水泳や陸上競技のほうが多い(独立行政法人日本スポーツ振興センターが平成2年から21年までに、学校内で柔道業や部活動で死亡し見舞金を支給したのは74件。陸上競技275件、水泳103件)。
学校管理下における柔道練習中での死亡に至る児童生徒の数は年平均4人超というデータがあり、過去27年間で計110人の生徒が死亡、2009年から2010年にかけては計13人の死亡事故が確認されている[115]。名古屋大学の内田良准教授の調査では1983年から2010年の28年間に全国で114人が死亡、内訳は中学39人、高校75人で中高ともに1年生が半数以上を占め、14人が授業中での死亡とされる。後遺症が残る障害事故は1983年から2009年にかけて275件で、内3割は授業中での事故との調査報告が出ている[116][117]。
1964(昭和39)年度の大阪府立高校におけるクラブ活動の傷害件数として、日本学校安全会大阪府支部資料に基づき、柔道209件、野球124件、ラグビー105件、 また、日本学校安全会大阪府支部調べの昭和51年度大阪府下全高校全日制男子のクラブ活動の傷害件数として、ラグビー443件、格技(主として柔道)382件、野球369件と報告されている。[118]
柔道の事故に関して全国柔道事故被害者の会が存在する。部活動後や帰宅時に容態が急変した場合、回転加速度損傷は外傷が殆ど無い為に柔道事故と死亡の因果関係の立証が困難になる[119]。
柔道事故に対して(財)全日本柔道連盟は安全指導プロジェクト特別委員会を設け、事故予防や事故時の対応などを指導者に啓発している[120]。同財団では柔道事故による見舞金制度が設けられており、死亡または1級から3級の後遺障害に見舞金200万円、障害補償として2000万円が支払われる。
『ゴング格闘技』は2010年6月の七帝柔道大会の試合後に松原隆一郎(東大教授)と増田俊也(作家)を招き、全柔連ドクターと京大柔道部OBの医師を交えた4人による緊急鼎談を行い、「未然に事故を防げるように柔道界で一致団結して前向きに対策を練っていこう」という話にまとまった。京大OBからは、寝技中心の七帝柔道らしく「中学生はまだ体ができていないので、授業ではまず寝技だけを教えて、危険な立技は体ができてから教えても遅くないのではないか」との意見が出ている。ただし、高校2年生が寝技の基礎練習中に頸椎を損傷して首から下が不随の状態になっている事例もある[121]。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科の内田良准教授の調査によれば、日本の柔道現場では、安全対策に取り組んだ結果、2012年から3年間、死亡者はゼロとなったとしている[122]
「頭をぶつけると起きるから、頭をぶつけないようにすれば大丈夫」などと思っている指導者が多いが、その考え方は甘い[123]。たしかに頭をぶつけた場合も危険であるが、頭をぶつけていなくても頭に強い加速度が加わるだけでも頭蓋内出血が起き命にかかわることがある[123]。
日本の文部省の対応は非常に杜撰で誠意の無いものであり、日本国政府(文部省)は、柔道が原因となった加速損傷で死亡事故が起きるという事実を30年前に把握していたにもかかわらず、そうした事実を隠蔽し、指導現場へ伝えることすら無かった[123]。
日本国政府(文部省)は30年前に学校での柔道の指導中に起きた死亡事故で被害者家族から訴訟を起こされ、家族が「頭をうったと思われる」としたところ、文部省側は無罪を主張するために「頭を打っていなくても、加速損傷で脳が損傷をうけることがある」ということを主張するために、わざわざ英語で書かれた論文を持ち出して自己弁護したにもかかわらず、自らの弁護のために持ち出した「頭を打っていなくても、加速損傷で脳が損傷をうけることがある」という事実に基づいて対応策を打てば状況を改善できたはずであるにもかかわらず、その事実を全国の学校現場に伝える努力をまったくせず、結果としてその後に日本で100人以上の若者が命を落とすような状況を作り出していたのである[123]。
さらに文部省は、「学校での柔道の指導中の事故を文部省に報告する必要はない」などとする(不適切な)きまりを数十年前につくってしまい、文部省に事故情報が集まってこない体制にしてしまった[123]。これによって、ますます危険が把握されず放置される状況が作り出された[123]。
こうした危険な状態が放置・隠蔽されていた実態が、中学校での武道必修化(結果として柔道必修化を選ぶ学校が多いと予測される)を目前とした2011年になって、明らかにする人が出て、問題として浮上してきた[123]。
全国の体育教師のほとんどは、自身が柔道をした経験もない状態なのに、そうした体育教師に柔道の指導をさせるつもりで、体育教師に対して最低限の研修(柔道着の着方、帯のしめかた、受身のとりかた)を急遽行っているようなありさまである[123]。指導者としてのレベルには全然達していない[123]。上述のような、高い死亡率、障害者率の実態がこの数年で急に明らかになったわけであり、このままの指導現場のありかたで武道必修化(柔道必修化)を実施し柔道を行う生徒が急増すると必然的に死亡者や障害を負う生徒(被害者)が急増することが、当然予測される[123][注釈 5]。にもかかわらず文部省の役人は「4月の柔道必修化は予定どおり実施する」というかたくなな態度を変えていない[123]。
(フランスは現在では、日本の3倍の柔道人口を持つ柔道大国である)、フランスではかつて起きた1名の死亡事故をきっかけとして、安全対策として、(競技者としてではなく)生徒に安全に柔道を指導するための国家資格を設立、救急救命や生理学やスポーツ心理学なども含めて300時間以上の学習・訓練を経なければ、決して柔道の指導はできないようにし[123]、例えばたとえ競技者として優秀でも受身の安全な指導ができなければ絶対に生徒の指導はできない、というきまりにした[123]。そうしたフランス政府の誠意ある姿勢と日本の文部省のずさんな態度は、非常に対照的で逆方向である[123]。
日本柔道連盟でも、連盟内に医師グループはいたものの、その中に頭を専門とする脳神経外科医がおらず、柔道事故の内実をよく理解していなかった[123]。
二村雄次(日本柔道連盟所属の医師、自身も講道館柔道六段)は、NHKのクローズアップ現代(2012年2月6日放送)で、武道必修化(柔道必修化)の前に、第三者による柔道事故検証のしくみ(システム)を事前に用意しておくべきで、そうすればもしも柔道指導中の事故が起きた場合は(文科省でもなく、事故を起こしてしまってから責任を回避しようとする現場の体育教師や校長などでもなく)第三者によって事故の実態を解明・分析し、そうすることで柔道事故の実態を解明し情報を蓄積すれば事故の防止策も打つことができる、と指摘した[123]。
2012年、文部科学省の外郭団体日本スポーツ振興センター名古屋支所が、同競技機関誌で掲載予定していた柔道の部活動や授業中の死亡事故への注意を呼びかける特集記事について、「中学の武道必修化が始まる前の掲載は慎重にすべきだ」という本部からの指摘を受けて不本意ながら掲載を見送った[124]。
2001年頃から肉体の接触で皮膚感染するトリコフィトン・トンズランス感染症(白癬菌の一種、いわゆる水虫、タムシ)が柔道及び、レスリング競技者間での集団感染の例が報告されている。皮膚科などの専門医にて治療が可能[125]。
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