ジープ・チェロキー (XJ) | |
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中期型2ドア 後期型4ドア 中期型4ドア リア(日本向け) | |
販売期間 | 1984-2001 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 2/4ドアクロスオーバーSUV |
エンジン |
日本仕様 直6 3.9L MS型 直6 4L MX型 V6 2.8L LR2 海外仕様 直4 2.5L AMC 直4 2.1L ルノーディーゼル 直4 2.5L VMディーゼル |
駆動方式 | FR/4WD |
変速機 | 3AT/4AT/4MT/5MT |
全長 | 4,199 - 4,390mm |
全幅 | 1,720 - 1,791mm |
全高 | 1,608 - 1,635mm |
ホイールベース | 2,575mm |
-自動車のスペック表- |
ジープ・チェロキー (XJ) (Jeep Cherokee) はアメリカン・モーターズ (AMC) が1983年に発表した新世代四輪駆動車で、既存のエンジン以外はすべてゼロから開発した本格4×4スポーツワゴンである。
先代チェロキー (SJ) やピックアップ出自の多くのSUVとは異なり、ラダーフレームを持たない、ユニボディーと呼ばれるモノコックボディーで登場した。
それまでのジープにはないコンパクトでスタイリッシュなクロスオーバーSUVであるが、ジープとしての血統を濃く受け継ぎ、高い悪路走破性を備えたクロスカントリー・カーでもある。
パリダカ出走のパジェロが火付け役となり、日本で1980年代後半から始まったクロカン四駆ブームの中にあって、1990年代中盤から4リットル・直6のハイパワーエンジンを得たXJは価格も300万円を切り、若者でも手の届く輸入RVとしてヒットした。「XJ」はジープ・チェロキーの形式名ではなく開発コード、またはその後も一般的に使用されるシリーズ名で、コードが同じものは車名が異なっていても共通のハードウエアを持つ。
1970年代の末。アメリカン・モーターズ(以下AMC)はオイルショックのあおりを受け、販売が低調だったフルサイズのSJと呼ばれたワゴニアとチェロキーに対して、テコ入れをせまられた。
AMCは1984年に向けたXJチェロキー(以下XJ)の開発に2億5000万ドルを投じた。XJの"X"に秘められたものがあるのなら“社運を掛けた試験的プロジェクト”だったともとれる。
1979年当時、AMCの株式の46.1%を取得していたのはフランスのルノーであり、XJ開発におよぼす影響力もまた大きかった。これは、アメリカ生まれのXJが、サイズやスタイリングにユーロテイストを持つ所以となっており、事実、発表後、フランスをはじめとした欧州各国でのXJの人気は高いものがあった。
チェロキー (SJ) に比べ、長さで530mm、幅で150mm、高さで100mm小さく、重量も約450kg軽いというコンパクトサイズだった。ボディはフレーム構造をとらず、モノコック(ユニフレーム)式となった。SJと同様、XJでもワゴニアは4ドアのみ、チェロキーには2ドアと4ドアが用意された。エンジンは自社製直列4気筒がメインで、GM製2.8リットルV6も選べた。この直4エンジンはパワー不足で不評であり、より高出力のパワーユニットの搭載が待たれた。トランスファーにはセレック・トラック4WD、もしくはコマンド・トラック4WDが搭載された。どちらもAMC独自のユニークな四輪駆動システムである。
1983年9月カリフォルニア州ボレゴ・スプリングスにおいてプレス発表が行われた。ボレゴ・スプリングスはアンザボレゴ砂漠州立公園内にある街で、その近傍でプレス関係者に岩とサボテンばかりの砂漠を試乗させた。
この全く新しいXJチェロキー/ワゴニア・スポーツ・ワゴンは、『フォー・ホイーラー(英語版)』誌の「アンザボレゴを120km/hで走行可能な本格オフロードワゴン」とする記事を初め、欧米の自動車評論家の間で絶賛され、1984年には自動車専門誌3誌から「4×4オブ・ザ・イヤー」を受賞した。スタイリッシュなボディからは想像しがたいが、足回りは、フロントがコイルスプリング+3リンク、リアがリーフスプリングに吊られた、前後ともリジッド・アクスルで、Jeepの名に恥じないクロスカントリー・カーである。
この新生XJの日本への輸入は1985年3月頃から近鉄芝浦自動車整備(のちに近鉄モータースに吸収) あるいはジープ・ジャパンによって行われた。エンジンはV6 2.8L (2830cc, 110PS/4600rpm, 20kgm/2400rpm) 、ATモデルのコマンド・トラックしか輸入されなかったが、四輪駆動車専門誌『フォーバイフォーマガジン』第8406号にて試走した紹介記事によれば、「今までの4駆からすれば、大変な意欲作。なんら新技術のないシンプルであるが、絶妙なバランス」と、辛口ながらも期待の込められたコメントがなされた。
1987年、XJに大きな変更が加えられる。いままでパワー不足を否めなかった直4とV6エンジンにとって代わるべく、CJ、YJに搭載された4.2リッター直6を4.0リッターへ縮小し、改良を加えたAMC製エンジンが搭載される。3928ccの排気量と、9.2というこの手のエンジンとしては高い圧縮比から、175馬力と30.4kgmのトルクを発生するパワフルな物になる。同様に『フォーバイフォーマガジン』第8705号の記事では、「価格が割安といってもそれはあくまでも輸入車としての話である。燃費も『排気量の割には』とただし書きをつけなければならないであろうが、私達のまわりの国産4X4の『乗用車化』が、トラックにいろいろと詰め込むことにすぎないのに対して、今やあらゆる日本のメーカーよりも弱小なAMCがやっているのが、『ジープを乗用車のようにする』という相反する条件を満たす難しい作業であり、その成果がこのチェロキーなのである。高い・安いとは少々次元が違う」との評価を受けた。
1993年モデルより、主に郵便集配用として本国で業務用として生産されていた右ハンドルモデル(運転手自身が頻繁に乗り降りする集配では、歩道側に面している右ハンドルのほうが効率的なため、受注生産されていた)を基にして主に日本市場向けに右ハンドル車を投入。これはアメリカ製自動車の正規輸入モデルとしては戦後初である。これをきっかけに、それまでの中立付近の遊びがはなはだしく大きく、前時代的であったステアフィールが大幅に改善されている。販売面では、車種を4ドアの一部グレードに絞り、さらにホンダ系ディーラーを販売ネットワークに加えたことと、1994年モデルから車両本体価格が300万円を切るグレードとして「スポーツ」を新投入したことで大きなヒットとなる。
1991年より採用されていた新エンジンは190馬力を発生しており、『カーグラフィック』誌1995年6月号の記事「上級クロスカントリー4WDの比較テスト」において、「1.6トンというこのクラスでは桁外れに軽いモノコックボディだから、0-400m:17.0秒という、スポーティーセダン顔負けの加速力を誇っているのだ」と評された。さらに「オフローダー一族にくくってはもったいないほど優れたハンドリングを見せたチェロキー。スポーツというグレード名がそのものズバリ。並みのFWDサルーンよりはるかに楽しく、しかも速くコーナーを駆け抜けることができる」とし、オフロードの走破性のみならずオンロードでのハンドリングにも一定の評価を得ている。また、『フォーバイフォーマガジン』誌の当時の編集長である石川雄一による総評では、「チェロキーはコンパクトで軽いので、日常の足としてもオフローダーとしても優れた4X4だ。ボクシーで都会的なスタイルは10年前のものとは思えず、今後も飽きられないだろう」とコメントされた。
1994年 モデルはベージュ内装になっている。
1995年モデルの外販色で設定されたアクアブルーは、日本ではこの年のみの販売となり、希少色となっている。
1997年、三角窓廃止、フロントエンドとバックドアを変更する、やや丸みを帯びたスタイルへのフェイスリフトが行われる。
その後、2001年まで生産され、次の世代のモデルであるKJチェロキーへとバトンタッチする。
※各モデルの型式は日本の運輸省(後の国交省)による認定形式で、ハイフン(-)以前は排出ガス規制適合識別記号。Jeepの場合、車台番号にこの文字は入らない。
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