この項目では、航路標識の灯台について説明しています。
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灯台(とうだい、英語: lighthouse)は、岬の先端や港湾内に設置され、その外観や灯光により船舶の航行目標となる施設。航路標識のうち光波標識の一種である。
灯台は塔状の建造物で、最上部には遠方からでも識別可能な強力な光源が設置される。夜間には光源が明滅(大型のものでは光源に前置されたレンズが回転)し、航行する船舶が場所を識別する目印となる。現在の灯台は多くがコンクリート製だが、歴史的には木造や石造、煉瓦造、鉄造もあり、一部は現存する。
灯台は設置場所により、船舶が陸地、主要変針点又は船の位置を確認する時の目標となる「沿岸灯台」、又は港湾の所在、港口などを示す「防波堤灯台」の二種類にも区分される。
多くの国では、灯台は沿岸警備隊あるいは港湾行政当局の管理下にある。
近隣にある灯台は、それぞれ光り方(灯質)が全て異なっており、識別できるようになっている。灯台表(海上保安庁発行)や海図には各灯台の灯質が記号で表記されている。代表的な灯質としては以下のものがある。
記録に残る最古の灯台は、紀元前7世紀に古代エジプトのナイル河口の寺院の塔上で火を焚いたことに始まると言われている。その後、紀元前279年頃から約19年の歳月をかけ、いわゆる世界の七不思議の一つ「アレクサンドリアの大灯台」が港口のファロス島に建設された。これは約134m の高さがあったと言われ、796年の地震で半壊するまで使用された。その後、宝物が埋まっているとの噂により破壊が進み、1375年の地震により完全に崩壊。1477年には跡地に要塞が建設され、消滅したと言われている。また、同じく世界の七不思議の一つであるロードス島の巨像も灯台の機能を果たしていた。
灯台の諸元は、海上からの高さを元に策定される。以下は灯光する灯台の諸元。
アメリカ合衆国の歴史的な灯台としてニューヨーク州ロングアイランドのモントーク岬灯台(Montauk Point Lighthouse)がある[3]。モントーク岬灯台は1796年に完成したニューヨーク州最古の灯台で、19世紀前半にヨーロッパからニューヨークを目指す船舶にとって重要な航路標識となっていた[3]。2012年3月、モントーク岬灯台はアメリカの国定歴史建造物に選ばれた[3]。
島国である日本には3000を超える灯台がある[4]。海上保安庁交通部(旧灯台部)が所管し、個々の設置・維持・管理等を各管区海上保安本部所轄下の海上保安部が行っている。また公益社団法人「燈光会」が灯台についての周知活動を行っている[5]。
所在地である岬や堤防の名を記する。堤防の先端に建つ灯台は原則として場所を示す固有名詞の後に堤防燈台または堤防灯台という命名をするが、重要な港湾灯台には付近に堤防が無いことも有るので「堤防」を冠していないものもある。
一般に岬に建つ灯台には岬の名前として埼を使用する。崎が山の様子が険しいことを表す字であり、平野に突出した山地の鼻を意味するのに対して、埼には陸地が水部へ突出したところを意味する。このため、明治時代の海軍水路部以来、海図では埼の字が用いられている。なお、国土地理院では前身の陸軍陸地測量部が使用していた崎の字を引き続き用いており、地図では崎の字が用いられる[6]。
日本最初の灯台については、839年(承和6年)に復路離散した遣唐使船の目印として、九州各地の峰で篝火を焚かせたと『続日本後紀』にあるのが最初であると言われている。建設が確認できる最古の灯台は、摂津国の住吉大社(現大阪市住吉区)の西方にあった鎌倉時代創建と伝えられる高灯籠であり、大社の馬場だった住吉公園入口に場所を移し復元された(1974年)[7]。
江戸時代に入り海運が盛んになると、日本式の灯台である灯明台や常夜灯(常夜燈)が岬や港、港に近い神社の境内などに設置されるようになった。陸奥湾に面する青森県野辺地町には文政年間に建てられた常夜燈が残る[8]。
航路標識として海上保安庁から正式に承認されている最古の灯台は兵庫県西宮市にある今津灯台で、1858年に再建されたものである。
日本最初の洋式灯台は1869年(明治2年)2月11日に点灯した観音埼灯台で、着工した1868年(明治元年)11月1日が灯台記念日となっている。また、現存最古の洋式灯台は旧品川燈台(1870年点灯、品川区から犬山市の博物館明治村に移築、重要文化財)、現地に建つ最古の洋式灯台は旧堺燈台(1877年点灯、大阪府堺市堺区、国の史跡)である。
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日本の開国は1854年であるが、日本近海は暗礁も多い上、光達距離の短い灯明台や常夜灯の設置のみで航路標識の体系的な整備が行われていなかった。そのため諸外国から「ダークシー」と呼ばれて恐れられていた。
1866年5月にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ改税約書(租税条約、江戸条約)で8ヶ所、1867年4月にイギリスと結んだ大坂約定(大坂条約)で5ヶ所の灯台を整備することが定められた(これら13の灯台を「条約灯台」とも呼ぶ)。明治維新による政権交代のため着工が1年遅れたが、順次建設された。これらの設計・建設には、お雇い外国人であるリチャード・ヘンリー・ブラントンやレオンス・ヴェルニーなどが携わった。
その後、海運の発展とともに航路標識の整備も進み、第二次世界大戦直前期には400基を数えるようになったが、依然として諸外国の水準とは隔たりがあり、「ダークシー」と呼ばれる状況は続いた。昭和初期になっても伊豆諸島の式根島では私設灯明台が建てられている。だが、太平洋戦争中は灯火管制とカモフラージュで本来の役目は果たしにくかった。戦後の高度経済成長期に飛躍的に増加し、2004年4月1日時点で全航路標識総数は5,600基、うち灯台だけで3,348基となっている。[9]
燈台事務の所管に関しては、例えば横浜の灯台においては、外国事務官の所掌となったのが1868年1月。工部省や逓信省の燈台局などを経て、海上保安庁燈台局(現在の海上保安庁交通部)の所管となったのは戦後の1948年5月であるという[10]。
2006年(平成18年)11月12日、日本で最後の職員滞在灯台であった女島灯台(長崎県五島市)が自動化され、全ての灯台が無人化された。なお、女島灯台は灯台守を主人公にしたことで著名な映画『喜びも悲しみも幾歳月』(木下惠介監督)の舞台の一つとなったことで知られている。
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常時一般公開されている灯台を参観灯台と呼ぶ。現在は15灯台で、社団法人燈光会などが海上保安庁から委託を受け、参観事業を行っている。これらの灯台は、上部へ登って眺望を楽しむことができるほか、資料館や展示室を併設するものもある。ただし、荒天時や冬期などには公開されない場合もある。なお、常時公開されていない灯台でも、海の日や灯台記念日(11月1日)の前後などに特別公開される場合がある。
内部へ入れない灯台も含めて、風景の一部として観光の対象とされており、官公庁や地方自治体もそうした動きを促進・歓迎している。海上保安庁はダムカードやマンホールカードに似た電子版「灯台カード」を作成・配布しているほか[12]、2018年11月10~11日には三重県志摩市で第1回「灯台ワールドサミット」が開催され、灯台の地元自治体による協議会設立が合意された[13]。
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